ロッチデール原則
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組合の最初の店舗、事務所。トード・レーン(ガマ通り)に面した建物の倉庫として使われていた一階部を3年契約で借りた。その後、建物全体を借り上げ、会議室や図書室なども設置された。現在は博物館となっている。現在のイングランドの行政区分。赤が大マンチェスター州ロッチデール区。先駆者組合創立時はランカシャー州に属していた。

ロッチデール先駆者協同組合(ロッチデールせんくしゃきょうどうくみあい英語: Rochdale Pioneers Co-operative)又はロッチデール公正先駆者組合(ロッチデールこうせいせんくしゃくみあい英語: The Rochdale Society of Equitable Pioneers)は協同組合運動の先駆的存在となった生活協同組合である(以下、先駆者組合)。1844年12月21日イギリスランカシャーロッチデールマンチェスターに近い)(Rochdale)で最初の店舗が開設された[1]。他の協同組合との合併を繰り返し、その系譜はThe Co-operative Groupに受け継がれている。日本では、ロッチデール組合、ロッチデール公正開拓者組合、ロッチデール正義の先駆者などと訳されることもある。

創立の直接的な背景としては減給、日々の食料や衣類等の生活必需品の品質の悪化や取引における公正さの欠如等、労働者たちの置かれていた状況の悪化があった[2]。その中で先駆者組合は、「組合員の社会的・知的向上」「一人一票による民主的な運営」「取引高に応じた剰余金の分配」などを掲げ、協同組合運動の理念を現実化させていった。

当時、ロバート・オウエンの社会主義のプログラム「産業上の自由をもつ手段として、労働組合のかわりに、組合的な企業を組織すること」の思想の影響を受けて多くの協同運動が組織されていたが、失敗に終わるのが常であった。先駆者組合の創立者は先人の失敗をふまえることで、運動を成功させるに至った。その経験はジョージ・ヤコブ・ホリョークにより伝えられ、ロッチデール原則として他の協同組合に受け継がれていった。
創立宣言

その創立宣言には、ロバート・オウエンの思想の空想的な部分を排除し、当初の計画としては、

組合の販売店をつくり、日用品や衣類を扱う。

組合員の住居となる家を建築または購入し、家庭的にも社会的にも環境改善を図る。

組合員の中の失業者や、賃金が下げられ貧困に陥った者の職を確保する製造事業を始める。

組合員が、その利益や安全を守るために耕せる土地の購買または借り入れを進んで行う。

組合員のための諸機関(生産、分配、教育や政治)を整える。

上記のように、組合員や、その他の組合等、利益を同じくする者たちが、自給自足を可能にする村の建設の援助、同じ目的の他の組合の援助等が挙げられていた[3]
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以下に、先駆者組合の特徴を示す。これらは当時の他の協同組合にも見られたものであるが、持続的、恒久的な運営がされ後の世に手本として示されたということが重要であり、後にロッチデール原則(後述)として体系化されていった。
購買高による剰余金の分配剰余はそれを生み出したものに与えられるべきとの考えによる[4]

品質の維持当時の社会状況は、物価が上がっても値段を上げられないため、異物の混入や重量のごまかしが多かった(食の安全#歴史[5]

市価での取引適正な利益を得て剰余金を分配するため、また、安売り競争で商品の品質を犠牲にすることを防ぐため[6]

現金での販売制度当時は小売店での購買は掛け売りで行われており、多くの労働者は常に多額の負債を抱えていた。労働者を負債から解放するため、現金での取引が義務付けられた。また、信用制度への不信感もあった[7]


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