ロッコ・バルデッリ
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ロッコ・バルデッリ
Rocco Baldelliミネソタ・ツインズ 監督 #5
2007年デビルレイズでの現役時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ロードアイランド州プロビデンス郡ウーンソケット
生年月日 (1981-09-25) 1981年9月25日(42歳)
身長
体重6' 4" =約193 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手
プロ入り2000年 MLBドラフト1巡目
初出場2003年3月31日 ボストン・レッドソックス
最終出場2010年10月3日 カンザスシティ・ロイヤルズ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴


ビショップ・ヘンドリッケン高等学校(英語版)

タンパベイ・デビルレイズ
タンパベイ・レイズ
(2003 - 2008)

ボストン・レッドソックス (2009)

タンパベイ・レイズ (2010)

監督・コーチ歴


タンパベイ・レイズ (2015 - 2018)

ミネソタ・ツインズ (2019 - )

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ロッコ・ダニエル・バルデッリ(Rocco Daniel Baldelli, 1981年9月25日 - )は、アメリカ合衆国ロードアイランド州プロビデンス郡ウーンソケット出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。現在は、MLBミネソタ・ツインズで監督を務めている。
経歴
プロ入り前

3歳のころに自宅の裏庭で野球を始める。14歳のときに足を故障して以来2年半ほど野球から離れていたが、父ダンにいわれてトライアウトに参加、そこで納得のいくプレイができなかったことから野球への情熱を取り戻す[1]。ビショップ・ヘンドリッケン高等学校(英語版)では野球の他にバスケットボールバレーボールでも活躍。
プロ入りとデビルレイズ/レイズ時代

2000年6月にMLBドラフト1巡目(全体6位)でタンパベイ・デビルレイズ(現:レイズ)から指名され、プロ入り。

2002年に傘下のマイナーリーグでA+級ベーカーズフィールド・ブレイズ(英語版)からAA級モンゴメリー・ビスケッツを経てAAA級ダーラム・ブルズまで昇格。アリゾナ秋期リーグも含め、この年157試合に出場し打率.323、20本塁打、93打点、36盗塁の好成績を残し[2]ベースボール・アメリカ誌が選ぶ2002年のマイナーリーグ年間最優秀選手賞を受賞する。

2003年にデビルレイズのスプリングトレーニングに招待選手として参加。イタリア系アメリカ人であることやプレースタイルが似ていることなどから「ジョー・ディマジオ2世」と呼ばれるようになり、球団もバルデッリに「開幕メジャー入り」と背番号5(ディマジオと同じ)を与える[1]

3月31日に「2番・中堅手」で先発出場しメジャーデビュー、ペドロ・マルティネスから初安打を放つ。その後も安打を重ねた結果、4月の月間安打数は40本となり、2001年イチローが記録した月間安打数新人記録を1本更新する。後半戦には疲労から成績を落としたが、年間を通しても184安打(リーグ10位)・27盗塁(同7位)という成績を残し、新人王を逃したものの将来性を感じさせた[3]

2004年も前年と同程度の成績を残したバルデッリだったが、以後は故障の多発に苦しむこととなる。この年のシーズン中には大腿四頭筋を、オフシーズンには膝を痛めた。さらに右肘までも手術することになった。

2005年は全休となった。

2006年のシーズン途中に復帰した。オフには他球団からトレードのオファーが頻繁に入っていたが、移籍せず残留した。

2007年故障者リスト入りして35試合にか出場できなかった。また、この頃にミトコンドリア病を発症している。

2008年シーズン後にフリーエージェントとなった。
レッドソックス時代

2009年1月8日、レッドソックスと年俸50万ドルの1年契約で合意と伝えられた。
レイズ復帰

2010年にレイズに復帰し、10試合に出場した。

2011年1月26日に現役引退を表明した。
引退後

2014年12月20日にレイズの一塁コーチに就任した事が発表された[4]。レイズのコーチは2018年まで務めた。

2018年10月25日、ミネソタ・ツインズの監督に就任した[5]

2019年、就任1年目でツインズを9年ぶりの地区優勝に導き、シーズン101勝をマークした手腕が高く評価され、最優秀監督賞を受賞した[6]
選手としての特徴

ポール・モリターを彷彿させるという打撃フォームからコンパクトなスイングでフィールドのあらゆる所へ打球を運ぶ能力を持つ[7]

打席から一塁まで3.85?3.9秒で走る右打者としてはメジャー最高級の俊足を誇り、ベースランニングも卓越していた[7]。しかし外野を守る際には後方の打球への反応がよくなかったため、初期は中堅として起用されていたが、外野両翼へのコンバートを余儀なくされた[7]
詳細情報
年度別打撃成績












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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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