ロック_(潜水艦)
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艦歴
発注
起工1942年12月23日[1]
進水1943年6月20日[1]
就役1943年10月26日[1]
1953年10月12日[1]
退役1946年5月1日[1]
1969年9月13日[1]
除籍1969年9月13日[1]
その後1972年8月17日にスクラップとして売却
性能諸元
排水量1,525トン(水上)[2]
2,424トン(水中)[2]
全長307 ft (93.6 m)(水線長)
311 ft 9 in (95.02m)(全長)[2]
全幅27.3 ft (8.31 m)[2]
吃水17.0 ft (5.2 m)(最大)[2]
機関ゼネラル・モーターズ248型16気筒6,500馬力ディーゼルエンジン 4基[2]
ゼネラル・エレクトリック2,740馬力発電機2基[2]
最大速水上:21 ノット (39 km/h)[3]
水中:9 ノット (17 km/h)[3]
航続距離11,000カイリ(10ノット時)
(19 km/h 時に 20,000 km)[3]
試験深度300 ft (90 m)[3]
巡航期間潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間[3]
乗員(平時)士官6名、兵員54名[3]
兵装(竣工時)3インチ砲1基、20ミリ機銃2基
21インチ魚雷発射管10基

ロック (USS Rock, SS/SSR/AGSS-274) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の一隻。艦名はメバル科ハタ科を中心に岩礁帯に生息する多種多様な「ロックフィッシュ」に因む。アメリカ公文書はモロネ科のストライプドバスの通称を由来と述べている。ストライプドバス(通称Rockfish)メバル科のスターリー・ロックフィッシュ(Starry rockfish)ハタ科のタイガー・グルーパー(別名Tiger rockfish)


目次

1 艦歴

1.1 第1、第2の哨戒 1944年2月 - 5月

1.2 第3の哨戒 1944年6月 - 8月

1.3 第4の哨戒 1944年9月 - 11月

1.4 第5、第6の哨戒 1944年12月 - 1945年5月

1.5 戦後・レーダー哨戒潜水艦 1953 - 1959

1.6 実験潜水艦 1959 - 1969


2 脚注

2.1 注釈

2.2 出典


3 参考文献

4 外部リンク


艦歴

ロックは1942年12月23日にウィスコンシン州マニトワックマニトワック造船で起工する。1943年6月20日にB・O・ウェルズ夫人によって進水し、艦長ジョン・ジェイ・フラクセンハー少佐(アナポリス1935年組)の指揮下1943年10月26日に就役する。ミシガン湖で一か月間猛訓練を行った後、ロックはシカゴ排水運河(Chicago Drainage Canal)(英語版)を通過し、イリノイ州ロックポート(英語版)へ向かう。ロックポートで浮きドック入りしたロックはそのままミシシッピ川を下り、11月29日にニューオーリンズに到着する。6日後パナマに向けて出航、訓練を再開し、1944年1月2日に真珠湾に向かい、修理と整備に従事した。
第1、第2の哨戒 1944年2月 - 5月

1944年2月8日、ロックは最初の哨戒で東シナ海方面に向かった。2月29日、ロックは南西諸島付近を航行中にで日本の重要船団を発見した。この船団は、釜山からグアム島第29師団の陸軍兵士を輸送する『松輸送』船団の内の一つであり、安芸丸(日本郵船、11,409トン)、東山丸(大阪商船、8,666トン)、崎戸丸(日本郵船、9,247トン)の3隻の陸軍輸送船が中心となり、朝霜岸波沖波の3隻の駆逐艦で構成されていた。ロックは夜間の2時49分頃に浮上して船団に接近したが、この時ロックの右斜め前方約6キロの地点にいた朝霜に察知され、ロックは照準することなく後部発射管から4発の魚雷を放射状に発射した。その後ロックは朝霜の右舷側に移り、朝霜のサーチライトと12.7センチ砲の発射炎によって照らされながら潜航した。しかし、潜航しかけた時に砲弾が潜望鏡支柱に命中し、潜望鏡が昼間用および夜間用の両方とも破損、またレーダーマストに浸水するなど大小さまざまな被害を受けていた[4]。この後、4時間に及ぶ爆雷攻撃をしのいだロックは夜になって浮上し、船団発見の旨を報告した。この船団はやがて、ロックの通報を受けたトラウト (USS Trout, SS-202) が攻撃し、夕刻に崎戸丸を撃沈するも朝霜によってトラウトも撃沈されることとなった。ロックは損傷を修理するためミッドウェー島を経て、35日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。

4月4日、ロックは2回目の哨戒で日本近海に向かった。豊後水道および相模湾を哨戒したが敵に接することなく、55日間の行動を終えてマジュロに帰投し、潜水母艦スペリー(英語版) (USS Sperry, AS-12) による修理を受けた。
第3の哨戒 1944年6月 - 8月

6月22日、ロックは3回目の哨戒でタイルフィッシュ (USS Tilefish, SS-307) 、ソーフィッシュ (USS Sawfish, SS-276) とウルフパックを組んでルソン海峡に向かった。担当海域では、7月18日と21日に輸送船団をぞれぞれ発見して攻撃を行い、1万トン級タンカー2隻と7,500トン級輸送船2隻、4,000トン級輸送船を撃破する戦果を挙げたとした[5]。また、ウルトラ情報(英語版)により、付近を遣独潜水艦作戦から帰還途中の伊号第二九潜水艦(伊29)が通過することが判明し、予想針路に近かったロック以下のウルフパックにその捕捉が命じられた。


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