ロック・アラウンド・ザ・クロック
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "ロック・アラウンド・ザ・クロック" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2016年10月)
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、楽曲について説明しています。原題が Rock Around The Clock である映画については「ロック・アンド・ロール/狂熱のジャズ」をご覧ください。

「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(Rock Around the Clock)は1954年に発表されたアメリカポピュラー・ソング。作詞・作曲:ジェイムズ・E・マイヤーズ(James E. Myers)、マックス・C・フリードマン(Max C. Freedman)。Decca 9-29124 (We're Gonna)Rock Around The Clock
概要

1954年3月20日に「ソニー・デイ・アンド・ヒズ・ナイツ」(Sonny Dae and His Knights)によって初めてレコーディングされ、同年5月15日にアメリカで発売されたビル・ヘイリー・アンド・ヒズ・コメッツによるシングル・レコードが大ヒットした。
経緯

1952年10月23日、マックス・C・フリードマンとジェームズ・E・マイヤーズの間で共同作曲の合意が交わされ[1]、1953年3月31日アメリカ議会図書館に著作権登録された。[2]版権の所有者でもあるマイヤーズ(レーベル・クレジットのジミー・デナイト『Jimmy DeKnight』はメイヤーズの変名)によって、この曲はビル・ヘイリーに提供されていたが、当時ビルが在籍していたエセックス・レコードの経営者デイブ・ミラー(Dave Miller)とマイヤーズの確執により録音は見送られていた。ビル曰く「2年ほどポケットに入れて持ち歩いていた。」[脚注 1]1954年、デッカレコードへ移籍の際、「ロック・アラウンド・ザ・クロックを最初に録音する」事がデッカのミルト・ゲイブラー、ヘイリー、マイヤーズの間で約束された[3]

ソニー・デイ盤

ビル・ヘイリーと友人関係にあったソニー・デイ(本名 パスカル・ヴェニッティ)は当時のビルのマネージャー、ジャック・ハワード(Jack Howard)が所有するアーケイド(Arcaed)レコードから1954年3月[4]に「ソニー・デイ・アンド・ヒズ・ナイツ」名義で同曲をリリースする。ビル・ヘイリー盤とソニー・デイ盤、この二つのレコードは一般的な「オリジナル曲」と「カヴァー・バージョン」の関係とは異なり、むしろ競作に近い[1]
録音Pythian Temple NY

当時デッカはNYにあるピディアン・テンプル・スタジオで多数の録音を行っていた。通常のスタジオは壁に反射する音を防ぐためのパッドを重厚に詰め込み、いわゆる「デッド・ルーム」な状態とするが、このスタジオは反響の強い「ライブ」な音響特性を持っていた[3]

デッカレコードのA&Rマン、ミルト・ゲイブラーは当時をこう語る[脚注 2]。「コロムビアは30番街の教会で録音していたが、私たちはブラスや弦楽器の自然なエコーが得られる場所を探していた(1940年代初頭デッカはPythian Templeの建物の一部をスタジオとして借りる)。ピディアン・テンプルはホテルのボールルームのようなもので、大きく高い天井とバルコニー、そしてステージがあった。全体のバランス調整ためにバルコニーにカーペットを敷きサウンドを「殺し」[脚注 3]、部屋にリバーブを拾うマイクを設置、ビル以外のメンバーはフロアより約4フィート高いステージに上げて録音を行った。こうすることで彼らは通常のライブ演奏のように相手を感じながら演奏する事が出来、音響的にもステージの背後まで降りた天井が、丁度自然な「殻」のような状態となって最高のサウンドを生み出した。ステージから6?8フィート離れた場所にいるビルはフロアからバンドを見上げる格好になった。 」[3]

ミルト・ゲイブラー[ Milt Gabler](1911?2001) 1937年NYにコモドア・レコードを設立、ビリー・ホリデイジェリー・ロール・モートンなどの歴史的録音を行う。1941年デッカ入りしA&Rマンとして数々のポップ、ジャズレコードの制作を手掛ける[3]

1954年4月12日 ニューヨーク東70番街135 ピディアン・テンプル スタジオ-A

ビル・ヘイリー Bill Haley - ヴォーカルリズム・ギター

マーシャル・ライテル Marshall Lytle - ベース

ジョーイ・アンブロス Joey Ambrose - テナーサックス

ビリー・ウィリアムソン Billy Williamson - スティール・ギター

ジョニー・グランデ Johnny Grande - ピアノ

ビリー・ガサック Billy Gussak - ドラム

ダニー・セドロン Danny Cedrone - エレクトリック・ギター

ゲイブラーのプロデュースの元、午後2時15分録音が始まる。予定では午前11時スタートであったが、メンバー達がNYへ移動の際、フェリーの運航トラブルによりスタジオ入りが遅れたためこの時間となった。先にゲイブラーが提供した[サーティン・ウーマン]が 吹き込まれる。[ロック・アラウンド・ザ・クロック]の録音の際、パートタイムのメンバーであったダニー・セドロンはこの楽曲を正確に把握しておらず、他のメンバーから「ロック・ザ・ジョイントの時のソロを弾いたらどうか」という提案を受け入れてソロパートを演奏した。ファーストテイクはビルのヴォーカルがバッキングの音に埋もれNG、テイク2がOKとなり,5時40分録音が終了した [3][5]
リリースと反応Bill (l. to r.) are Billy Williamson, Charlie Higler, Marshall Lytle and Johnny Grande. 1953[脚注 4]

1954年5月15日[6][脚注 5]ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツのデッカ移籍最初のレコードとして発売された。 「それはデッカが毎月リリースする大量のレコードの中の一枚に過ぎなかった。」ゲイブラーは語る.[脚注 2]「C&W、R&B、ではなくロックンロールという言葉も無かった。通常のポップレコードの扱いで、レーベルに記載される分類も『Foxtrot』(ダンス音楽)だった。7万5千枚売り上げたがスマッシュヒットとは言えない。ところが2枚目の「シェイク・ラトル・アンド・ロール」が全米トップ10入りの大ヒットになった時、ラジオ局に再度「ロック・アラウンド?」を送ったところ両方共に100万枚を売り上げた。そして最終的に「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は2,000万枚を記録することになった。」[3]

1955年、映画監督リチャード・ブルックスは戦後世代の少年非行を扱った映画「暴力教室」のテーマ・ソングを探していた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:41 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef