ロックン・ロール_(ジョン・レノンのアルバム)
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『ロックン・ロール』
ジョン・レノンスタジオ・アルバム
リリース

1975年2月21日

1975年2月17日

1975年4月5日

録音

1973年10月17日 - 12月

:A&Mスタジオ

:レコード・プラント・スタジオ・ウエスト (LA)

1974年10月21日 ? 25日 (1974-10-21 ? 1974-10-25)

:レコード・プラント・スタジオ・イースト (NY)

ジャンルロック
時間39分37秒
レーベルアップル/EMI
プロデュースジョン・レノンフィル・スペクター
専門評論家によるレビュー


Allmusic link

チャート最高順位


10位

6位

15位

ジョン・レノン アルバム 年表

心の壁、愛の橋
(1974年)ロックン・ロール
(1975年)シェイヴド・フィッシュ
(1975年)

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『ロックン・ロール』(英語: Rock 'n' Roll)は、ジョン・レノン1975年 2月に発表した6枚目のスタジオ・アルバム。1950年代後半から1960年代前半の曲を集めたオールディーズ・カバー・アルバムである。全米6位、全英10位を記録した。

2004年にリミックス&デジタル・リマスタリング盤が再リリースされ、ボーナス・トラック4曲が収録された。
解説
制作に至る経緯

1973年9月、『マインド・ゲームス』のレコーディングを終えたレノンは、次回作としてオールディーズのカバー・アルバムを企画した[1]。当時レノンはオノ・ヨーコと別居し、ロサンゼルスで個人秘書のメイ・パンと共同生活していた。幼少期からレノンが好んでいたジェリー・リー・ルイスファッツ・ドミノの公演を観るためにラスベガスに赴いたのもこの頃であった。折しも、多くのオールディーズが用いられた映画『アメリカン・グラフィティ』が大ヒットしていたこともあり、テレビでも同時代を舞台にしたドラマ「ハッピーデイズ」シリーズの制作が始まっていた[注釈 1]

レノンは『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』以来、疎遠になっていたフィル・スペクタープロデューサー就任を依頼した[3][4]。スペクターはオールディーズが主流であった時期に名を馳せており、これまでもレノンの作品を多く手掛けていた。レノンは歌手に徹するため、スタジオやミュージシャンの手配など、スペクターにすべて任せることにした [5][6][7][8]

一方、10月、 チャック・ベリーの楽曲の出版権者モリス・レヴィが起こしていた著作権侵害をめぐる裁判[注釈 2]の審理が12月に始まるという通知がレノンの下に届いた。ロサンゼルスでの自由な生活を送っていたレノンは、裁判のためにニューヨークに戻ることを避けたかったので、法廷外で和解することにした。和解の条件として、レノンが次に発表するアルバムにレヴィのビッグセブン出版社が所有する楽曲から「ユー・キャント・キャッチ・ミー」を含む3曲を収録することが取り決められた[注釈 3][7]
ロサンゼルスでのレコーディング・セッション

1973年10月中旬、A&Mスタジオでセッションが始まった[6]。レノンがレコーディングしているというニュースが流れると、ハリウッドの全てのミュージシャンがセッションに参加したがり[2]、実際に30人以上のミュージシャンが参加した[5]。レコーディングは良い雰囲気で始まったが、次第に飲酒が常態化し、ついには誰かがミキシング・コンソールに酒をこぼしてしまったためレノンと関係者はスタジオを使用できなくなった[2]

まもなくレコード・プラント・スタジオ・ウエストに場所を移してセッションを再開したが、今度はスペクターが精神的に不安定となり、異常な行動を重ねた挙句[注釈 4]、セッションのテープを持って失踪してしまった[10][注釈 5]。その後、音信不通が続き[注釈 6]、1974年3月31日に自動車事故でスペクターが昏睡状態になると、レコーディング再開の目処は全く立たなくなった。仕方なくレノンはプロデューサーとして制作中のハリー・ニルソンのアルバム『プシー・キャッツ』を完成させるために5月、パンと共にニューヨークに戻った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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