ロックフォード_(イリノイ州)
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ロックフォードのダウンタウン

ロックフォード(Rockford)は、アメリカ合衆国イリノイ州北部の都市。ウィネベーゴ郡郡庁所在地である。シカゴの北西130キロメートルに位置する。人口は14万8655人(2020年)[1]で、シカゴ都市圏外では最大の都市である。ウィネベーゴ郡、および東に隣接するブーン郡の2郡にまたがる都市圏は人口33万8798人(2020年)を数える。ロックフォードは市内に立ち並ぶニレの木で知られており、それ故に「森の街」と呼ばれている。市街地はミシシッピ川の支流の1つであるロック川の両岸に広がっている。
歴史ロックフォード創設者の銅像

この地には1834-35年に入植が始まった。ロック川の西岸にはジャーマニカス・ケント、サッチャー・ブレイク、ルイス・レモンの3名が当時の鉱山の町ガリーナからやってきて入植地を創設した。一方、ロック川の東岸にはダニエル・ショー・ハイトが入植地を創った。当時奴隷の身分であったレモンは後に自由を買い取ったが、この地に留まって農業を営んだ。南北戦争前には、この周辺の地域にはニューヨークニューイングランドから移入してきた住民が多かったのに対し、州南部にはケンタッキー州テネシー州から奴隷の元使用主が移入してきた[2]。この地はシカゴとガリーナの中間点にあったことから、当初はミッドウェイと呼ばれていたが、立地がロック川の渡津にあたることが判ると、ロックフォードと改められた。ロックフォードは1839年に正式な村となり、1852年には市に昇格した。

創設されてから最初の10年ほどは、ロックフォードは片田舎の静かな村に過ぎなかったが、その後急速に発展し、ウィネベーゴ郡の郡庁所在地に指定された。1851年には、ロックフォード水力発電会社が設立され、翌1852年にはガリーナ・アンド・シカゴ鉄道の駅がロックフォードに設けられた。安価な電力と交通手段が確立されたことによって、ロックフォードは変貌を遂げた。1860年頃には、ロックフォードは産業の中心地となり、特に農業機械の生産で知られるようになった。1880年代には、ロックフォードの家具工場はスウェーデン系移民の職人や資本家を登用し、20世紀前半には、ロックフォードはミシガン州グランドラピッズに次ぐ全米第2の家具生産の中心地になった[3]1920年頃には、この地のスウェーデン系住民は10,480人を数え、総人口の約1/6を占めていた[4]。東部の起業家とは異なり、この地の家具会社の多くは協同組合を結成し、労働者や職人が強い力を持っていた。しかし、農業機械は第一次世界大戦の頃には既に衰退期に入り、家具産業も世界恐慌第二次世界大戦で大きな打撃を受けた[5]

都市概観も変わっていった。1890年代後半から1900年代前半にかけては、その頃に形成された地区に公園が設けられた。1920年代には、街路樹の立ち並ぶ大通りが整備された。今日のロックフォードが「森の街」と呼ばれるようになった基礎は、この頃に作られた。1929年には、15階建て、高さ57mで、現在でもロックフォードで最も高い建物であるファウスト・ホテルが建てられた。このアール・デコ調のホテルは、その後何十年間にもわたって各界の要人を迎え、社交の中心となっていった。しかし、現在ではホテルとしては営業しておらず、高齢者用のアパートに転用されている。コロナド・シアター

経済の成長に伴って、ロックフォードは文化的にも成長していった。1872年には、イリノイ州内では2番目となる公立図書館、ロックフォード公立図書館が開館した。1877年には、ロックフォード初の日刊紙が刊行された。1920年代に入ると、コロナド・シアターをはじめとする劇場が次々と建てられた。1927年に建てられたコロナド・シアターは数あるロックフォードの劇場の中でも最も規模が大きく、また最も豪華なものであった。「ロックフォードの驚くべき劇場」と称されたこの劇場は、1979年に国の史跡に指定された。1943年には、全米女子プロ野球リーグが創設され、ロックフォードにもピーチズという女子野球チームができた。ピーチズは1945年1948年1949年1950年と4度の優勝に輝いた。しかし、1954年にリーグが解散すると、チームも消滅した。その後、リーグとチームは1992年に公開された映画「プリティ・リーグ」の題材となった。

1960年代に入ると、20世紀前半に市の経済を支えてきた農業機械や家具産業は廃れ[5]、代わりに新しい産業が生まれた。20世紀後半のロックフォードの産業は、自動車や宇宙航空などといった重工業が中心となっていった。その一方で、ロックフォードは玩具を作る町としても知られていくようになった。しかし1980年代に入ると、製造業は衰退に転じ、ロックフォードの地域経済は大きな打撃を受け、変革を迫られるようになった。市内の家族経営の企業の多くは大企業に買い取られ、大企業は合衆国内でも賃金の安い地域や、合衆国外へと移転していくようになった。市はハイテク産業への移行、博物館・美術館や公園を活用した観光業の振興、シカゴ都市圏の西方への拡張に目を向け、再生への頼みの綱としている。2009年には、ウォールストリート・ジャーナル紙の記事で、ロックフォードが直面する財政、失業、労働者の教育水準などの問題と、それらの問題に向き合う市長の姿が報じられた[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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