ロッキー・ジョンソン
1983年
プロフィール
リングネームロッキー "ソウルマン" ジョンソン
スウィート・エボニー・ダイヤモンド
本名ロッキー・ジョンソン
ニックネーム黒い砲弾
ソウルマン
身長186cm
体重112kg(全盛時)
誕生日 (1944-08-24) 1944年8月24日
死亡日 (2020-01-15) 2020年1月15日(75歳没)[1]
出身地 カナダ
ノバスコシア州
カンバーランド郡アマースト
デビュー1964年
引退1991年
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ロッキー・ジョンソン(Rocky Johnson、出生名:Wayde Douglas Bowles[2]、1944年8月24日 - 2020年1月15日)[3]は、カナダ・ノバスコシア州出身のプロレスラー。生年は1941年、出身地はアメリカ合衆国ニューヨーク州またはワシントンDCと紹介されることもあった[4]。
ソウルマン(Soulman)の異名を持つベビーフェイスの黒人スターとして、太平洋岸、南部、中西部、WWFなどアメリカ各地の主要テリトリーで活躍[3]。ばねのある身体から繰り出す華麗な空中殺法で人気を博し、ドロップキックの名手として知られた[4]。
義父(妻の父)はピーター・メイビア、息子はプロレスラーで俳優のザ・ロック。2008年にはWWE殿堂に迎えられた。 1964年にデビュー後、トロントのメープル・リーフ・レスリング、カルガリーのスタンピード・レスリング、バンクーバーのオールスター・レスリングなどカナダ各地を転戦。バンクーバーでは1967年4月3日、ドン・レオ・ジョナサンと組んでクリス・トロス&ジョン・トロスを破り、NWAカナディアン・タッグ王座を獲得[5]、初戴冠を果たす[3]。1969年11月にはトロントのメープル・リーフ・ガーデンにて、ビッグ・サカこと坂口征二とも対戦した[6]。 その後はアメリカ西海岸のロサンゼルスに進出して、1970年1月16日にグレート小鹿からNWAアメリカス・ヘビー級王座を奪取[7]。以降もフレッド・ブラッシーを相手にタイトルを争った[7]。同年9月、日本プロレスに初来日し、第1回NWAタッグ・リーグ戦にアーニー・ラッドとの強力黒人コンビで出場[8]。両者のサイズとファイトスタイルの相違点がBI砲と通じていたことから(ラッド=ジャイアント馬場、ジョンソン=アントニオ猪木)、「黒いBI砲」として優勝候補の筆頭と期待された[9]。チームワークに難があり、決勝進出は果たせなかったものの、得意のドロップキックを武器に、スピーディーでキレのいいファイトを披露して大会を盛り上げた[4][9]。 1971年からはサンフランシスコを主戦場に、義父となるピーター・メイビアやアール・メイナードとのタッグチームで活躍、パット・パターソン、スーパースター・ビリー・グラハム、ザ・ブルート、ラーズ・アンダーソンらと抗争した[10]。
来歴