この項目では、日本の企業について説明しています。同社が発行する雑誌については「rockin'on」をご覧ください。
株式会社ロッキング・オン
rockin'on inc.種類株式会社
本社所在地 日本
〒150-8569
東京都渋谷区渋谷2-24-12
渋谷スクランブルスクエア27F
設立1982年12月22日
業種情報・通信業
法人番号2011001025611
株式会社ロッキング・オン(rockin'on inc)は、音楽系の出版社。洋楽誌、邦楽誌、カルチャー誌、総合誌、美術誌など7誌を刊行するほか、ロック・フェスティバルなどのイベント事業も手がけている。 水上はるこが中心となって出版していたロックのミニコミ「レボリューション」を、渋谷陽一が新宿のロック喫茶で見つけ、投稿したことで岩谷宏と知り合う[2]。「レボリューション」の最終号に渋谷と岩谷の投稿が掲載された[3]が廃刊となり、1972年の夏、音楽評論家の活動と平行しつつ二浪して明治学院大学の大学生になったばかりの渋谷陽一、渋谷のアルバイト先のロック喫茶の常連(その中に「レボリューション」の廃刊を知らずに投稿していた橘川幸夫や松村雄策らがいた)とミニコミ「rockin'on」を創刊。印刷費18万円で3,000部が刷られ[4]、スタッフによる人海戦術で都内及び東京近郊の書店やロック喫茶、楽器店等に販売委託された。隔月刊誌であったが創刊号がほとんど売れ残ったため、もう一度創刊号を出すような資金繰りで2号目が発行された。 3号目になるとスタッフの離反により収益性とともに販売(配本)体制の非効率性が重くのしかかった。抜本的な対策として大手取次会社との契約を敢行し[5]、4号目(1973年3月1日発行)より投稿誌の体面のままで全国配本がスタートした。 投稿は使い物にならないものが多く、売上も伸びず、広告収入も増えないまま、借金を繰り返す経営危機がしばらく続いたが、架空インタビューやスタッフ同士の対談や連載マンガなど編集スタッフ主体の独自企画も読者に好意的に受け入れられ、70年代半ばにかけて徐々に経営も安定していった。1977年になると部数は急進し10月号より月刊化、1978年10月号よりカラーグラビア及び英国『sounds紙』と独占契約した翻訳記事を毎号掲載するなど、商業音楽誌らしい情報提供にも力を入れ始めた。その一方でスタッフや投稿者の世代交代を図ったことにより、若い世代の狂信的な支持を取り付けることに成功し、80年代半ばには音楽業界を代表する雑誌に成長した。 1982年12月に株式会社化。1986年には邦楽専門の音楽誌「ROCKIN'ON JAPAN」を創刊し、取り扱いの幅を広げていく。 1990年代以降は音楽以外の分野へも進出し、様々なサブカルチャーや社会問題を取り上げた雑誌・書籍を発行する。音楽誌や歌手の書籍以外として、宮崎駿、北野武、松本人志のインタビュー集、よしもとばなな、松尾スズキの小説、山口智子のエッセイ、奈良美智の画集、中谷美紀、吉川ひなの、緒川たまき、HIROMIX、蒼井優の写真集、田中秀征、安野モヨコの対談集、藤原帰一、吉本隆明の評論集を出版している。 出版業界が縮小傾向にある2000年代からは、音楽イベント「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」の主催を手掛けるなど、音楽を軸に幅広い事業展開を進める。 2007年6月9日、音楽情報Webサイト「RO69」を開設。(開設10周年となる2017年の同日から現在の「rockin'on.com」に変更。) 2013年4月、ロッキング・オン・グループとして新たなスタートを切る[6]。 2019年9月、渋谷スクランブルスクエアに本社移転[7]。 2024年3月、2024年4月1日付での経営体制を変更を発表。株式会社ロッキング・オン・ホールディングス及び株式会社ロッキング・オン・ジャパン代表取締役社長には、現副社長の海津亮が、株式会社ロッキング・オン代表取締役社長には、現副社長の山崎洋一郎がそれぞれ就任する。これに伴い、現グループ3社の代表取締役社長である渋谷陽一は、各社の代表取締役会長に就任するとした[8]。 ロッキング・オン社から発売される雑誌では、インタビュー記事においてもアーティスト側からの原稿チェックの要求には応じない方針を掲げている。編集部とアーティスト側が相互にチェックしてよい記事に仕上げる手法を否定しているわけではないが、業界で慣例化している原稿チェックを編集の独立性を失わせるものとして警戒している。
概要
歴史
方針