ロス・プリモス
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「黒沢明」はこの項目へ転送されています。映画監督については「黒澤明」をご覧ください。

ロス・プリモス
出身地 日本
ジャンルムード歌謡
活動期間1961年 - 2010年5月
2010年6月 - 2019年(活動休止状態)
レーベル

日本クラウン株式会社ウェブクウ
事務所有限会社ロスプリモスエンタープライズ
公式サイトhttps://los-primos.net/

メンバー森聖二(ボーカル)
大川公生(ベース・コーラス)
峰たかし(コーラス・ギター)
徳永淳(コーラス・ドラム)
上野旬也(コーラス・キーボード)

旧メンバー黒沢明(ギター・コーラス)
村上章(キーボード)
前川浩二(ドラムス)
佐藤幸輝(ギター・サックス)

ロス・プリモスは、1961年から2010年5月まで活動していた、森聖二がメインボーカルを務める、日本ムード歌謡界を代表するグループである。旧グループ名は黒沢明とロス・プリモス。2010年6月からは、メンバーを替え新ロス・プリモスとして稼働。メンバー2人の脱退(事実上の解雇処分)後は、公式サイトもリニューアル中となり活動は明らかにされていない。
概要

1961年、ラテンコーラスグループ黒沢明とロス・プリモスとして結成。なお、黒沢は、映画監督の黒澤明と同姓(漢字違い)同名であるが別人である。

1965年にメインボーカルに森聖二を新たに迎え“大人にも楽しめて唄える歌”として、1966年4月、クラウンレコードよりA面「涙とともに」(作詞/木村伸・作曲/中川博之)B面『ラブユー東京』(作詞/上原尚・作曲/中川博之)の作品でデビューした。これは、中川博之にとってもデビュー作となり、以来数多くの作品を共にすることになる。この時レコードジャケットは白黒だった。

地道な活動により、1年後に「ラブユー東京」が大ヒット、思いがけない展開に慌ててAB面をひっくり返し、ジャケットがカラーの「ラブユー東京」が登場した。

1968年1月に創刊されたオリコンでは創刊号(1968年1月4日付)から2週連続第1位を獲得した。1968年4月29日発売のオリコンHOT100には、「ラブユー東京」「雨の銀座」「ラブユーいとはん」「たそがれの銀座」の4曲がランクインしている。銀座シリーズ第2弾「たそがれの銀座」は発売と同時にオリコンに登場。この曲で同年NHK紅白歌合戦に出演。その後も、静岡県伊東市の城ヶ崎海岸に歌碑まで建ったという「城ヶ崎ブルース」、銀座シリーズ第3弾「恋の銀座」、当時タイトルが長く話題になった「さようならは五つのひらがな」、タンゴのリズムが軽快な「君からお行きよ」など次々と発表する。

1969年 - 1978年、ビクターレコードに移籍。移籍直後には「ヘッドライト」を発表。CM先行で発表した「せめてお名前を」は、札幌で火がついた。10周年記念曲「別れるのになぜ」と数々の曲を残したが、横浜シリーズ第2弾「夜の横浜泣いてる私」を最後にビクターレコードを離れる。

1979年、クラウンレコードに復帰。横浜シリーズ第3弾「小さなお店をもちました」、横浜シリーズ第4弾「ぬれて横浜」を発表。

1980年、黒沢がコンサート中に倒れ引退。その後グループ名をロス・プリモスに改名。

1981年、15周年記念曲「誘蛾灯」を発表。

1986年、「城ヶ崎ブルース」の続編として『雨の城ヶ崎』を発表。

20周年を迎えた頃には、「ラブユー東京」が「ラブユー貧乏」(フジテレビオレたちひょうきん族」)になり、「ハーブ湯東京」(「ライオン」CM)と形を変えて脚光を浴びる。

1989年には、秋元康作品の「泣いたカラス」。1990年には、「雪の長岡恋の町」を発表。

1991年、25周年記念曲「アドレス帳」を発表。

1992年「さよならララバイ」を発表。

1993年、シンガポール公演がきっかけで生まれた「雨の星港(シンガポール)」を発表。

1994年、「あなたのためなのよ」を発表。

1995年、「人妻夜雨」を発表。

1996年、30周年記念曲「いつまでも銀座」を発表。

1997年、久々の平尾昌晃作品の「上海しのび逢い」、「好きですサッポロ」の続編、デュエット曲になった「魅せられてサッポロ?好きですサッポロパートII?」を、北島ファミリーの高見のり子と発表。

1998年、「小樽化粧」(瀬川瑛子競作)を発表。

1999年、「北緯四十度四十分」青森百石町町生75周年記念曲。デュエットリメイクされた「さようならは五つのひらがな」「サッポロの星の下で」を、真帆花ゆり(現:伊吹友里)と発表。

2000年、デュエットリメイク「名古屋ブルース」は、真咲よう子と発表している。

2001年、35周年記念曲「灯りの中で」が、作詞/森聖二、補作詞・作曲/上野旬也で誕生し、2003年「北の雪虫」(キム・ヨンジャ競作)のカップリング曲として発表される。

2006年6月、40周年記念曲「フォーエバー東京」を発表。森にとって遺作となる。この際行われた40周年記念リサイタルは、ムード歌謡の発祥の地でもある有楽町よみうりホールで公演され、全35曲中29曲を森が熱唱した。40周年記念曲は、森聖二が初めて自ら頭を下げて、レコーディングが実現した。

2007年1月、森が心筋梗塞で倒れ、緊急入院し約3か月の療養を余儀なくされる。


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