ロス・バーンズ
Ross Barnes
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ニューヨーク州マウントモリス
生年月日1850年5月8日
没年月日 (1915-02-05) 1915年2月5日(64歳没)
身長
体重5' 8.5" =約174 cm
145 lb =約65.8 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション内野手
初出場1871年5月1日
最終出場1881年9月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ボストン・レッドストッキングス (1871 - 1875)
シカゴ・ホワイトストッキングス (1876 - 1877)
シンシナティ・レッズ (1879)
ボストン・レッドキャップス (1881)
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ロス・バーンズ(Charles Roscoe "Ross" Barnes, 1850年5月8日 - 1915年2月5日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州マウントモリス出身のプロ野球選手(二塁手)。右投げ右打ち。
ナショナルリーグの初代首位打者で、アメリカ合衆国プロ野球草創期を代表する内野手の一人。 バーンズは1868年から1870年まで、アルバート・スポルディングと共にロックフォード・フォレストシティーズでプレーしていたが、1871年にナショナル・アソシエーションのリーグが創設された際、ハリー・ライトの誘いでボストン・レッドストッキングスに入団する。1871年には31試合に出場し、157打数63安打、打率.401を記録、得点66はリーグ最多であった。 1872年には45試合で99安打、打率.430を記録しリーグ首位打者となり、また守備でもリーグ最多となる162の補殺と30の併殺を記録する。翌1873年には60試合で137安打、125得点を挙げ、打率.431で2年連続の首位打者となり、打率も3年連続で4割を超えた。守備では1872年から1875年まで補殺数(二塁手)のリーグ最多を記録、また併殺数も5年間で3度リーグ最多を記録するなど、攻撃、守備面で高い能力を発揮した。 1876年にナショナルリーグが設立された際シカゴ・ホワイトストッキングスに移籍。この年.429の打率でリーグ最初の首位打者となったほか、126得点、138安打、二塁打21、三塁打14と4つの部門でリーグ1位を記録している。また、正式と認められるメジャーリーグ初本塁打を、シンシナティ・レッズ戦で放った[1]。しかしバーンズが驚異的な活躍ができたのはこの年までだった。 翌1877年にバーンズは熱病に犯され、この年の出場は22試合にとどまる。守備や走塁の機敏さは失われ、この年は.272の打率しか残せなかった。1878年にはナショナルリーグを離れてインターナショナルリーグでプレーしたりしていたが、バーンズは復調することはついになかった。1881年にボストンに戻り、同年31歳で選手を引退。バーンズの通算打率は.359にもなるが、「1試合あたり1.4得点」という通算記録は、歴代最高記録として未だ誰にも破られていない。引退後は1890年に、プレイヤーズ・リーグで56試合審判を務めた記録が残っている。1915年に心臓病のためイリノイ州シカゴで死去。 年
経歴
詳細情報
年度別打撃成績
度球
団試
合打
席打
数得
点安
打二
塁
打三
塁
打本
塁
打塁
打打
点盗
塁盗
塁
死犠
打犠
飛四
球敬
遠死
球三
振併
殺
打打
率出
塁
率長
打
率O
P
S
1871BOS31170157666310909134116----13----11.401.447.5801.027
1872452392308199282113444122----9----43.430.452.5831.034
1873603403201251383111219760436----20----21.431.465.6161.080
187451267259728812401083987----8----21.340.360.417.777
187578400393115143204117458296----7----30.364.375.443.818
1876CHC663423221261382114119059--------20----8--.429.462.5901.052
18772299921625100265--------7----4--.272.323.283.606