ロジャー・ムーア
Roger Moore
007シリーズ抜擢当時のフォト (1973年)
本名Roger George Moore
生年月日 (1927-10-14) 1927年10月14日
没年月日 (2017-05-23) 2017年5月23日(89歳没)
出生地 イングランド、ロンドン、ランベス区、ストックウェル (en
サー・ロジャー・ジョージ・ムーア(Sir Roger George Moore KBE 、1927年10月14日 - 2017年5月23日)は、イギリスの俳優。1973年から1985年の間に、映画『007』シリーズで7作にわたってジェームズ・ボンドを演じた。
人物若き日のムーア (1960年)
ロンドンのストックウェルで警察官の息子として生まれる[1]。バッキンガムシャー、アマーシャムのドクター・シャロナーズ・グラマースクールに入学。1940年代に映画にエキストラ出演した後に軍隊に入隊し、第二次世界大戦中はイギリス軍の娯楽部隊に所属した。
除隊後に再び大部屋俳優になり、モデルやテレビのステージ・マネージャーなどの職業も経験した。1950年代に入ってアメリカに渡り、テレビドラマに出演する下積み生活が続いた。1954年、MGM映画『雨の朝巴里に死す』に出演、同年MGMの契約俳優となる。
1962年、テレビシリーズ『セイント 天国野郎』に主演してスターの地位を得る。1971年からの『ダンディ2 華麗な冒険』などのテレビシリーズでも活躍した。かつては英国文学界が生んだ世界的二大キャラクター、シャーロック・ホームズとジェームズ・ボンドを演じた唯一の俳優であったが、2023年に宝塚歌劇団の真風涼帆が史上二人目の俳優となった。
1973年には、ショーン・コネリーの後継者として『007 死ぬのは奴らだ』に主演した[2]。同作の主題歌はポール・マッカートニー&ウイングズの「死ぬのは奴らだ」で、この曲もヒットした。以後、『黄金銃を持つ男』『私を愛したスパイ』『ムーンレイカー』『ユア・アイズ・オンリー』ほか、007シリーズ作品で1985年までジェームズ・ボンドを演じた。
俳優として活躍する一方、ユニセフ親善大使(オードリー・ヘプバーンに勧められたという)[3]などボランティア活動にも精力的で、2003年にはナイトの称号を与えられた[1]。同年にはブロードウェイの舞台で倒れ、病院に搬送される騒ぎもあった[4]。
2007年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を獲得した[5][6][7]。式典には007の宿敵ジョーズを演じたリチャード・キールや、『007 死ぬのは奴らだ』で共演したデヴィッド・ヘディスン、女優ステファニー・パワーズらが出席した[7]が、ムーアが星の前でひざまずいた後、立ち上がるのに人手を借りねばならない一幕もあった[8]。2008年には初めての自伝 My Word Is My Bond [9]を上梓、また仏芸術文化勲章の最高章であるコマンドゥールを授与された[10]。3人目の妻ルイザ (1989年カンヌ国際映画祭)
私生活では、4度の結婚をしている。2人目の妻である歌手のドロシー・スクワイアーとは1961年に破局したが、彼女がその後8年間離婚を拒んだため、ムーアと後述するルイザ・マッティオリとの間の子供のうち2人は、庶出子となった。ドロシーは1998年に死去したが、2009年になってムーアはドロシーが子供の頃住んでいた家に300ポンドのブルー・プラークを贈った[11]。晩年のムーア (2012年)
3人目の妻である元女優のルイザ・マッティオリとの間には2男1女がおり、子供の中でジェフリーとデボラは俳優になった。1994年、ムーアがルイザに電話で二人の38年間の関係は終わったと告げ、1993年に患った前立腺癌[12]のためリヴィエラで療養した。2002年に1億ポンド(スターリング・ポンド)の慰謝料でルイザとの離婚が成立すると、ムーアは74歳でクリスティナ・ソルトラップとモンテカルロで秘密裏に結婚式を挙げたが、このときムーアの子供は誰も出席しなかった[13]。しかし、2007年のハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム殿堂入りの際には、妻クリスティナとムーアの3人の子供がそろって出席した[7]。
2017年5月23日、がんにより89歳で死去[14]。ムーアの家族が公式Twitterで掲載した声明では、ムーアはスイスで亡くなり、葬儀は故人の遺志によりモナコで密葬にて執り行われるという[1]。
セイント 天国野郎米TVドラマ「セイント天国野郎」の一場面 - 左ムーア (1969年)
1962年に英国で製作、放映された人気TVシリーズ。ムーアの名声を確立した作品であり、当時、人気が低迷気味だった小説「サイモン・テンプラー」シリーズのカンフル剤になり、新刊や過去作の復刻を促した。
製作は特撮人形劇『サンダーバード』で知られるITCのルー・グレード卿で、主人公サイモン・テンプラー役には後に『プリズナーNo.6』の製作・監督・主演でも知られることになるパトリック・マクグーハンとムーアが候補になり、ムーアが役を射止める。この二人は初代ボンドの有力候補にもなっており、また、3代目ボンドとしても名前が挙がった。
ムーア本人はテンプラー役はショーン・コネリーと競り合いの末、勝ち取った役で、コネリーはやむなく、ボンド役になったとの発言をユーモアたっぷりに語っている(この話はムーア独特の一種のジョークで、事実関係は確認できない)。