ロジャー・ディーン
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Roger Deanロジャー・ディーン
2016年 ロンドンO2アリーナにて
プロフィール
本名William Roger Dean
出身地 イングランド
ケント州アッシュフォード
国籍 イギリス
生年月日 (1944-08-31) 1944年8月31日(79歳)
職業画家イラストレーター、アートデザイナー、建築家
活動期間1960年代 -
代表作イエス・ファミリーのカバーアート作品
公式サイト ⇒Roger Dean.com
イラストレーター: テンプレート - カテゴリ

ウィリアム・ロジャー・ディーン(William Roger Dean、1944年8月31日 - )は、イングランド出身の画家イラストレーター、アートデザイナー、建築家[1]
概要

ヒプノシスキーフと並び、多くのプログレッシブ・ロック・アルバムのアート・ワークを担当したことで、そのバンドのファンから親しまれているアート・デザイナー。幻想的な作風を用いて、色づかいや枠線の描き方に東洋絵画風の要素が見られる。

特にイエス関連の作品で知られ、ディーンのイラストがもつ透明で幻想的なグラフィック・イメージが、イエスの追求した音楽性をリスナーに喚起させる力が強く、イエスもそれを高く評価して、一時はイエスの第6のメンバーとも言われた。詳細はイエスとの出会いを参照。

娘のフレイヤ・ディーンや[2]、妻アマンダ・ディーン、母ジェーン・ディーンもアーティスト(芸術)活動をしており、後年はロジャーファミリーとして共同の仕事もしている[3]
略歴

1944年、4人兄弟(弟:マーティン、妹:ペニー、妹:フィリッパ)の長男として、イングランドケント州アシュフォードに生まれる。父親がイギリス軍のエンジニアであったため、キプロス香港などを転々とする幼年期、少年時代を過ごした[4]。1959年になって一家がイギリスに戻ると、アシュフォード・グラマー・スクールを経て、母親が結婚前にカンタベリー州の芸術学校で服飾デザインを学んでいた影響からか、1961年、カンタベリー州の王立家具デザイン学校の3年コースに入り、そこで銀細工の加工と家具のデザインを学んだ[4]。1965年、ロンドンの英国王立芸術大学(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)に入学し、デザインの国家免許を取得。1968年、同校を卒業した後、工業デザイナーとして働き始める[4]

1968年、ロニー・スコッツ・ジャズ・クラブの改装に携わった関係で、エイドリアン・ガーヴィッツらのバンド ガン(英語版)のアルバム『悪魔天国 (Gun)』のカバー・デザインを依頼され、それが好評であったため、以降、ジャケット・デザインの仕事も手がけるようになった[4][5]。『狂気 ピンク・フロイド シンフォニック (Us and Them: Symphonic Pink Floyd)』におけるディーン自身のライナー・ノーツによれば、ピンク・フロイド在籍時のシド・バレットとアパートをシェアリングしていたという。

1971年、イエスの4作目のアルバム『こわれもの』のジャケット・デザインを担当すると、商業的にも成功するイエスのアルバム・ジャケットの多くを手がけるようになり、プログレッシブ・ロックのファンの間における知名度が上がって、イエスのほか、ユーライア・ヒープジェントル・ジャイアントのジャケット・デザイン、或いはヴァージン・レコードのロゴやレーベルのデザインなどを次々と手がけていく[4][5]

1970年代前半は、イエスのステージ・セットにも携わっており、そのためツアーにも帯同することが多く[4]、1973年3月の来日公演におけるイエスの記者会見では、当初、イエスの専属カメラマンを装って会場に姿を現したが、目ざとい記者に見破られ、メンバーと一緒にインタビューを受けさせられるハプニングが起きた[6]

1976年にリリースされたジョン・アンダーソンのソロ・アルバム『サンヒローのオリアス(英語版)』のジャケットは、ロジャー・ディーンがデザインを担当したイエスの『こわれもの』に描かれた絵が元になっており[7]、実際にはサンヒローのオリアスのジャケットもロジャー・ディーンが手がける予定だったが、この時既にロジャー・ディーンは初の個人画集『Views』の作成に取り掛かっており、時間的な余裕がなかったため、知人のデイブ・ロウというイラストレイターに依頼したものである。

1975年、自身初の画集『Views』をイギリスで出版[4]。初のジャケット・デザインを担当したガンのアルバムから、この時点での最新作であるスティーヴ・ハウのソロ・アルバム『ビギニングス』までを、その制作過程まで含めて収録している。

2009年に公開されたアメリカ映画『アバター』に登場する空中に浮かぶ岩、翼竜などの世界観がロジャー・ディーンの描いてきたものにそっくりであることを指摘する人が多いが、ロジャー・ディーンはこの映画には一切の関わりを持っていない。ロジャー・ディーン本人もそっくりであることを自身のホームページで言及している[8]
イエスとの出会い

イエスのアルバム・ジャケットのデザインを担当した経緯は、2012年にリリースされたブルーレイおよびDVDビデオ『イエスソングス 40周年記念HDニューマスター版』に特典映像として収録されたインタビュー映像で、ロジャー・ディーン本人およびスティーヴ・ハウとクリス・スクワイアが説明している。

最初はロジャー・ディーン自身がアトランティック・レコードのフィル・カーソンに自分の作品を売り込みに行き、フィル・カーソンがそれを気に入って、担当しているレッド・ツェッペリンとイエスのどちらかのアルバムに起用することを考え、その時『こわれもの』を制作していたイエスに紹介した。クリス・スクワイアのコメントによれば、その売り込みの時点で『こわれもの』に使用された絵は完成しており、厳密な意味でイエスとロジャー・ディーンが初めて行った共同作業は『危機』だった。

また同インタビューにおけるロジャー・ディーンのコメントによれば、『究極』も『マグニフィケイション』も担当するつもりだったが、『究極』はメンバーと意見が合わず、『マグニフィケイション』はイエスのマネージメントサイドから別の人に頼むと告げられた。
カバーアート提供作品
イエス・ファミリー
イエス

こわれもの』 - Fragile (1971年)

危機』 - Close to the Edge (1972年)

イエスソングス』 - Yessongs (1973年)

海洋地形学の物語』 - Tales from Topographic Oceans (1973年)

リレイヤー』 - Relayer (1974年)

イエスタデイズ』 - Yesterdays (1975年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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