ロシア・アヴァンギャルド(ロシア語:Русский авангард、ルースキイ・アヴァンガールト)は、19世紀末以来とりわけ1910年代から、ソビエト連邦誕生時を経て1930年代初頭までの、ロシア帝国・ソビエト連邦における各芸術運動の総称である。
歴史(英語版)(1913年)など、同時代のモダニズム運動との共通性が顕著であった。1909年にミハイル・ラリオーノフがダイヤのジャック(1909年 - 1911年)、1912年にロバの尻尾(1912年 - 1913年)を結成。1913年の展覧会「標的展」における立体未来主義まではロシア・アヴァンギャルド以前に分類する考え方もある。ロシア・アバンギャルドには「構成主義」「ロシア未来主義」「キューボ・フューチャリズム」「ネオ・プリミティズム」なども含まれる[1][2][3][4]。
立体未来主義は詩人が個人的に創作した言語であるザーウミを用いて詩などを創作した。ヴェリミール・フレーブニコフ、アレクセイ・クルチョーヌイフ、カジミール・マレーヴィチ[5]などがいる。第一次世界大戦中に、次第にカジミール・マレーヴィチに代表されるシュプレマティスム(1915年)が台頭、ロシア特有の芸術運動となる。
1917年のロシア革命後は表現上の革新と政治革命が相互に作用した。干渉戦争=戦時共産主義期間には純粋芸術においてのみならず、プロパガンダ・アートの分野(ビラ、ポスター、宣伝列車等)で利用された。1918年にはスヴォマス(英語版)(Свомас)が設立され、ウラジーミル・タトリン等に代表されるロシア構成主義(1919年)が台頭した。
1920年代にはレーニンが主張していたネップ(一部市場経済化容認)期においては芸術と生活そして社会主義的な産業化のトリアーデの一致をめざす様々な分野(建築、プロダクトデザイン、写真、映画等)で、その可能性を開花させた。受容の側面に関して言えば、都市労働者を支持基盤とする当時のロシア共産党の実情ならびにネップ政策との関連で、モダニズムから派生したアヴァンギャルド芸術は当局からも支持された。