ロシアの音楽(ロシアのおんがく)では、ロシアで作られた音楽、およびロシア人によって作られた音楽について解説する。
ロシアは広大で多様な文化を有する国であり、そこで生活する多くの民族が、それぞれの音楽を各地で発展させてきた。ロシア音楽はその特徴として、ロシア帝国からソビエト連邦、現代のロシアの時代にかけて存在し続ける民族的マイノリティ(ユダヤ人、ウクライナ人、ジプシーなど)から多大な影響を受けている。
ロシア音楽の音楽スタイルは、儀式的な郷土民謡からロシア正教会の宗教音楽、19世紀に繁栄した古典派、ロマン派などのクラシック音楽まで多岐に渡る。20世紀にはソビエト音楽が隆盛するとともに、さまざまな形式のポピュラー音楽が興り、今日のロシア音楽の諸相の一部を形成している。
歴史
黎明期中世のグースリ弾き(ヴィクトル・ヴァスネツォフによる絵画)
現存する文書記録には、ルーシ族に音楽文化があったことが述べられている。中世のロシアで最も人気のあった楽器は、グースリ、グドークといった弦楽器である。考古学調査によれば、ノヴゴロドの地域で11世紀のものと推定される、これらの楽器が発見されている[1](ノヴゴロドは深い音楽の伝統を持っており、民話における英雄や数篇の叙事詩の主人公はサドコと呼ばれるグースリ弾きだった)。よく使用される他の楽器としては、スヴィレルと呼ばれる笛、トレショートカやブベンといった打楽器がある。しかしながら、最も人気のある音楽様式は声楽であった。サドコやイリヤー・ムーロメツといった英雄を描いたブィリーナ(口承叙事詩)はたびたび歌われ、時には楽器による伴奏が付くこともあった。叙事詩のテクストは、一部が記録されている。
モスクワ大公国の時代になると、正教会の宗教音楽と、楽しみのために用いられる世俗曲との間に明確な線引きがなされた。前者はビザンティン帝国から伝統を受け継ぎ、ロシア正教会の鐘鳴や合唱に重要な位置づけを与えている。ネウマ譜が採譜のために発展したことから、中世ロシア音楽は中世宗教音楽の1ジャンルとして今日まで生き残っている。その中でも、16世紀にイヴァン4世によって作曲された2曲のスティヒラは著名である[2]。
世俗音楽ではフィップル・フルートや弦楽器といった楽器の使用が見られる。当初はスコモローフと呼ばれる、貴族を楽しませるための道化師や吟遊楽人が休日に演奏するのが主だった。17世紀のロシアの大シスマに対する反動の時代、スコモローフならびに彼らの演奏する世俗音楽の形式は、商業目的の使用を禁止された。しかし、彼らの伝統の一部は、規制の時代を乗り越えて今日まで受け継がれている[3]。
18世紀、19世紀:ロシア・クラシック音楽ニコライ・リムスキー=コルサコフ。19世紀を代表するロシアの作曲家。(ヴァレンティン・セロフによる肖像画)詳細は「ロシアのクラシック音楽史」を参照「w:Russian Enlightenment#Opera
ロシアは、前述の世俗音楽禁止令により、なかなかヨーロッパ・クラシック音楽の伝統を独自に発展させることができなかった[4]。イヴァン4世の統治が始まると、宮廷はヨーロッパから作曲家や音楽家を招聘し、この空白を埋めた。ピョートル1世の統治時代には既に、これらの音楽家は宮廷のお抱え人となっていた[5]。ピョートル1世は、特に個人的に音楽に傾倒していた訳ではなかったが、ヨーロッパ音楽を文明の象徴として考え、ロシアの西洋化のための道だと信じていた。彼が建設した西洋的都市サンクトペテルブルクの存在により、上流階級の市民にヨーロッパ音楽が急速に浸透した[6]。女帝エリザヴェータの時代、そして女帝エカチェリーナ2世の時代になると、宮廷ではイタリア・オペラが熱狂的な人気となり、貴族階級の中でクラシック音楽への関心が広がった[7]。