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@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ロシアかぜ[訳語疑問点]1890年1月12日、フランスの雑誌Le Grelot
疾病インフルエンザまたはコロナウイルス感染症
ウイルス株H3N8またはHCoV-OC43
最初の発生ブハラ(現ウズベキスタン)
最初の報告 ロシア帝国
場所全世界
日付1889年 - 1890年
死者数100万人(推計)
ロシアかぜ(Russian flu)あるいはアジアかぜ(Asiatic flu)[訳語疑問点]は、1889年から1890年にかけ世界的に流行した感染症。その後1895年にかけ何度も再流行を繰り返した。19世紀の最後の大流行であり[1]、当時の世界人口15億人のうち、約100万人が犠牲となったと考えられている[2]。目次 1889年の5月にロシア帝国のブハラで最初に発生を確認。同月にはカナダのアサバスカやグリーンランドでも発生している。10月に入りサンクトペテルブルクで患者が発生すると、その後ヨーロッパ全域、アメリカ合衆国へと僅か4ヶ月で地球を一周した[1]。拡大速度は非常に早く、航空機の発達した、のちのパンデミックに匹敵するものだった[1]。 日本では1890年に流行し、お染かぜ(お染風)の俗称で呼ばれた[3][4]。江戸の人気芝居『お染久松』のお染から取られたもので、お染の侵入を防ぐといって「久松留守」や「お染後免」と書いた紙札が流行した[4]。 高齢者の致死率が異様に高い、神経症状が顕著に見られるなど、通常のインフルエンザパンデミックとは異なる点も見られた[5][6]。致死率は0.1-0.28%[1]、あるいは1%[2]ともされる。 ウイルス学が未発達であったため、原因となったウイルスは特定されていない。当時病原菌としてインフルエンザ菌が分離されたが、後にこの菌が直接インフルエンザを起こすわけでは無いと分かり否定された。その後は、H2N2亜型[7]あるいはH3N8亜型[1]といったA型インフルエンザウイルスのほか、2005年にヒトコロナウイルスOC43の可能性があると発表されている[8][9]。またこれに関連して、2019年に発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)と症状が似ていると主張する研究者も存在する[10]。
1 概要
2 脚注
2.1 注釈
2.2 出典
3 関連項目
概要
脚注
注釈
出典^ a b c d e “Transmissibility and geographic spread of the 1889 influenza pandemic”