ロサンゼルス・エンゼルス
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この項目では、MLBの球団について説明しています。その他の同名の球団については「ロサンゼルス・エンゼルス (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ロサンゼルス・エンゼルス
Los Angeles Angels
1961年創設



所属リーグ


アメリカンリーグ (1961年 - )

西地区 (1969年 - )


チーム名


ロサンゼルス・エンゼルス (2016年 - )

ロサンゼルス・エンゼルス (1961年 - 1965年)

カリフォルニア・エンゼルス (1966年 - 1996年)

アナハイム・エンゼルス (1997年 - 2004年)

ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム (2005年 - 2015年)

ロサンゼルス・エンゼルス (2016年 - 現在)


本拠地
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カリフォルニア州ロサンゼルス (1961年 - 1965年)

カリフォルニア州アナハイム (1966年 - )


エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム (1966年 - )

エディソン・インターナショナルルド・オブ・アナハイム(1997年 - 2003年)

アナハイム・スタジアム(1966年 - 1997年)


ドジャー・スタジアム (1962年 - 1965年)

ロサンゼルス・リグレー・フィールド (1961年)

永久欠番



11

26

29

30

42

50


獲得タイトル(獲得年)

ワールドシリーズ優勝(1回)


2002

リーグ優勝(1回)


2002

地区優勝(9回)


1979

1982

1986

2004

2005

2007

2008

2009

2014

ワイルドカード(1回)


2002


球団組織
オーナーアルトゥーロ・モレノ(英語版)
GMペリー・ミナシアン
監督ロン・ワシントン

ロサンゼルス・エンゼルス(英語: Los Angeles Angels、略称: LAA、エ軍)は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)アメリカンリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はカリフォルニア州アナハイムに所在するエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム。一部ではエンジェルスとも表記される。愛称は光の輪(halo:ヘイロウ)を意味するHalos(ヘイロウズ)[1]
概要
経営

1997年から2003年まではウォルト・ディズニー・カンパニーが経営に携わっていた。2002年のワールドシリーズ初制覇時の優勝パレードは、同じアナハイムにあるディズニーランドで行われた[2][3]

2003年にヒスパニックの実業家であるアルトゥーロ・モレノがオーナーに就任[3]。モレノはチケット、ビールの値下げ、家族向けの低価格帯グッズの販売などを展開し、ファン層の拡大にも力を注いだ。試合中はホーム球場であるエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムを歩き回り、ファンと積極的にコミュニケーションをとっている姿が見られる。その効果もあってか、2004年以降はレギュラーシーズンの平均観客動員数は4万人を超えるようになり、スタンドはチームカラーの赤に染まる。現在では、シーズン入場者数は330万人から340万人程度を推移しており、メジャーでも上位の人気を誇っている。チームの価値も上昇し、現在[いつ?]は2003年当時の買収額である約1億8000万ドルから約3億6800万ドルほどになったといわれる。また、広域的にも広告利益が期待できかつアナハイムを含むロサンゼルス地域に根ざした野球チームを目指すという観点から「ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム」に変更した。この名称変更に関して、地元ファンやアナハイム市は球団の態度に不快感を示すとともに、1996年に球団と市の間に交わされたアナハイムの名を明示的にチーム名に入れるとする契約に反するとして訴訟にまで発展した。

後に球団側が勝訴し、現在では既に「ロサンゼルス・エンゼルス」という名前が浸透している他、2016年には球団創設時の名称である「ロサンゼルス・エンゼルス」へ正式に改称した。
ラリー・モンキー

マスコットキャラクターのラリー・モンキーが人気を集めている。ラリー・モンキーとは直訳すると「逆転猿」という意味で、ラリー・モンキーが現れるのは6回以降でチームが負けているか、同点の時のみであり、ラリー・タイムと称してスコアボードの大画面にラリー・モンキーの跳ね回る姿が映し出される。2000年頃からこの猿が登場し、不思議とチームも逆転勝利を収めるようになったことから、ラリー・モンキーと名づけられ、現在では球場の名物として定着している。
移転問題

本拠地エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムの老朽化に加え、2022年にアナハイム市長が収賄容疑で逮捕された経緯も相まって、ロングビーチへの移転が噂されている。
球団の歴史

年度別成績についてはロサンゼルス・エンゼルスの年度別成績一覧参照
球団創設

1900年から1954年までMLB球団はセントルイスより北東にしかなく、五大湖地域東海岸に集中していた。西海岸の人口増加と航空旅客輸送の普及により、MLB球団の西海岸移転の話はたびたび持ち上がっていた。初めにこれを検討したのがアメリカンリーグで、1940年にセントルイス・ブラウンズ(現・ボルチモア・オリオールズ)がロサンゼルスへの移転を計画した。しかし1941年の末に太平洋戦争が勃発したため、戦場となる可能性のあった西海岸でのプロスポーツの開催が困難となり、この計画は頓挫した。1953年にはブラウンズが再びロサンゼルスへの移転を計画したが、球団自体が売却されたことで、翌1954年に逆方向となる東海岸のボルチモアへ移転した。その後ワシントン・セネタース(現・ミネソタ・ツインズ)やフィラデルフィア・アスレチックス(現・オークランド・アスレチックス)といった球団もロサンゼルスへの移転を計画したが実現しなかった。なお、アスレチックスは1955年にセントルイスと同じくミズーリ州の都市であるもののカンザスシティへ移転し、一時的に最も西にあるチームになった。

1958年ナショナルリーグのブルックリン・ドジャース(現・ロサンゼルス・ドジャース)とニューヨーク・ジャイアンツ(現・サンフランシスコ・ジャイアンツ)がそれぞれロサンゼルスとサンフランシスコへ移転し、初めて西海岸にMLB球団が誕生した。ドジャースとジャイアンツは初年度から多くの観客を集め、興行的に大きな成功を収めた。そのため、アメリカンリーグでも西海岸に球団を置くことが再度検討され、1961年のアメリカンリーグの球団拡張計画(エクスパンション(英語版))に基づき、ロサンゼルスにおける新球団の設置が決定した。新球団の名前はロサンゼルスの地名の由来である「天使たち = the angels」から採り、これにロサンゼルスを冠して「ロサンゼルス・エンゼルス」となった。こうしてエンゼルスはその歴史を歩み始める。
アナハイムへの移転

1961年は初年度となったシーズンは70勝91敗でリーグ8位(10球団中)に終わった。しかしこれは戦後の新設球団の成績の中では最も良いものだった。初年度はロサンゼルス・リグレー・フィールドを使用していたが、2年目からはドジャースの本拠地球場であるドジャー・スタジアムを間借りする。2年目には86勝76敗で早くも勝ち越し、リーグ3位に食い込んだ。なお、この年の5月5日のオリオールズ戦ではボー・ベリンスキーがエンゼルス初のノーヒットノーランを達成している。

1964年には82勝80敗で再び勝ち越し。この年にはディーン・チャンスが防御率1.65・20勝9敗を記録し、エンゼルスでは初の個人タイトルとなるサイ・ヤング賞を獲得している。

しかしこうしたチームの好成績とは裏腹に観客数は伸び悩んだ。1962年から1965年までの4年間の合計観客数は300万人程で、同じ本拠地のドジャースと比べても半分以下だった。そのため間借りしているドジャー・スタジアムの賃貸料は割高となり、新球場の建設の必要性は明らかだった。1966年にロサンゼルス南郊のアナハイムにアナハイム・スタジアム(現・エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム)が完成し、チームもアナハイムへ移転。球団名も「カリフォルニア・エンゼルス」と改称した(州名を冠したのはミネソタ・ツインズに続き2球団目)。移転の効果は抜群で、1965年には57万人程だった観客数も移転した初年度には140万人を記録している。1969年からはア・リーグ西地区に所属。しかし1970年代後半まで負け越しのシーズンが続き、なかなか優勝には手が届かなかった。
初の地区優勝(1979年)

1972年ニューヨーク・メッツからトレードでノーラン・ライアンが移籍。当時のライアンは持ち前の豪速球には凄まじいものがあったが、制球に苦しみ、なかなか活躍できない状況が続いていた。しかしエンゼルスに移籍するや否や防御率2.28・19勝16敗・329奪三振という活躍をみせる。

1973年にはサンディー・コーファックスが1965年に記録したシーズン382奪三振を抜くシーズン383奪三振を記録。翌年以降も毎年20勝前後を挙げ、エンゼルスで4度のノーヒットノーランを達成するなど、MLBを代表する投手へと成長する。

1978年のシーズン途中にジム・フレゴシが36歳という若さで監督に就任。フレゴシは元エンゼルスの遊撃手で、ライアンとのトレードでメッツに移籍した経緯を持ち、この年の5月に引退したばかりだった。この年には、ツインズから移籍したライマン・ボストックが射殺される悲劇もあったが、フレゴシ監督の下で87勝75敗と8年ぶりに勝ち越し、2位でシーズンを終える。そして1979年には、ライアンに加えてロッド・カルードン・ベイラーボビー・グリッチらを擁し、初の地区優勝を遂げた。カルーは首位打者こそ逃したものの打率.318と期待にそぐわぬ活躍をみせ、ベイラーは打率.296・36本塁打・139打点を記録し、ア・リーグMVPに輝いた。続くリーグチャンピオンシップシリーズではアール・ウィーバー率いるオリオールズと対戦し、1勝3敗で敗れた。

1979年限りでライアンがチームを離れ、翌1980年には65勝95敗と大きく負け越した。また、この年にはNFLロサンゼルス・ラムズがアナハイム・スタジアムを使用するようになり、球場もアメフト兼用に改修され、収容人数も43,000人から64,593人に増加された。このためアメフト兼用に球場を改築した他球団と同様に、試合数の少ないアメフトの試合では観客席が埋まる一方、試合数の多い野球の試合では空席が目立つといった弊害に悩まされることとなる。

1981年は前後期制が導入され、前期は31勝29敗で4位だったものの、50日間に及ぶストライキで短縮された後期には20勝30敗で最下位に沈んだ。なお、この年にはグリッチが22本塁打で本塁打王に輝いている(22本塁打でのタイトルは戦後では最少。他にも3人が22本塁打を記録した)。
2度の地区優勝(1982年、1986年)

1982年ニューヨーク・ヤンキースからレジー・ジャクソンが移籍。前年は15本塁打と不調だったジャクソンだが、エンゼルスに移籍するや復活、39本塁打を放ち本塁打王に輝いた。また、チームもジャクソンの活躍もあり、93勝69敗で2度目の地区優勝を果たす。続くリーグチャンピオンシップシリーズではミルウォーキー・ブルワーズと対戦。


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