ロココ様式
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2012年12月)
ぶらんこ」(1768頃、フラゴナール作)

ロココ(Rococo)とは、美術史で使われた用語で、バロックに続く時代の美術様式を指す。18世紀ルイ15世フランス宮廷から始まり、ヨーロッパの他国にも伝えられ、流行した。
ロココという語
語源

ロココはロカイユ(rocaille)に由来する言葉である。ロカイユはの意味で、バロック時代のグロット(庭園洞窟)に特徴的な貝殻で装飾された岩組を指したが、そこから転じて、1730年代に流行した、貝殻の曲線を多用したインテリア装飾をロカイユ装飾(ロカイユ模様)と呼んだ。ロカイユ装飾は、イタリアの貝殻装飾に由来すると考えられているが、植物の葉のような複雑な曲線を用いた特有のものである(画像参照)。ロココの家具(1730年)
バロックとロココ

新古典主義の時代(18世紀末?)になると、前時代の装飾様式が退廃的であるとして蔑称的に使われたが、その後、時代一般の美術・文化の傾向を指す用語として、広く使われるようになった。ロココ様式(スタイル)、ロココ建築、ロココ趣味などと使う。豪壮・華麗なバロックに対して、優美・繊細なロココともいわれるが、両者の境界は必ずしも明確ではなく、ロココはバロックの一種と考える人もいる。
ロココの時代範囲

ポンパドゥール夫人(1721年 - 1764年)を中心とするサロン文化の最盛期にロココ様式は流行し、デュ・バリー夫人の時代まで続いたが、ルイ16世(在位1774年 - 1792年)が即位した頃から、装飾を抑え直線と均衡を重んじるルイ16世様式(広義の新古典主義様式)に次第に取って代わられた。しかし、ロココ的な美意識や雰囲気は、宮廷が実権を失う1789年のフランス革命まで継続した。

スウェーデンでは、1771年に即位したグスタフ3世の治世を「ロココの時代」と称している。スウェーデンのロココ様式の流行は1792年にグスタフ3世が暗殺されるまで続いた。
建築
全般詳細は「ロココ建築」を参照

ロカイユ装飾を多用した室内装飾に特徴がある。

フランス

ジェルマン・ボフラン
が建てたパリのオテル・ド・スービーズ(英語版)は手のこんだ建築装飾がほどこされ、この時代のロココ様式を代表する作品として知られる。

ポンパドゥール夫人の命でアンジュ=ジャック・ガブリエルが建てたヴェルサイユ宮殿内のプティ・トリアノン。なおポンパドゥール夫人没後にこの敷地に王妃マリー・アントワネットはイギリス式庭園を造り、「王妃の村里」と呼ばれる農村を併設した。

ルイ15世の義理の父スタニスワフ・レシチニスキによりナンシー(当時はロレーヌ公国)のスタニスラス広場が整備される。

イタリア

ナポリ国王カルロ7世(後のスペイン王カルロス3世)により建てられたナポリ近郊のカゼルタ宮殿

ドイツ

プロイセン国王フリードリヒ1世により建てられたベルリンシャルロッテンブルク宮殿

プロイセン国王フリードリヒ2世により建てられたベルリン近郊ポツダムサンスーシー宮殿

バイエルン選帝侯カール・アルブレヒト(神聖ローマ皇帝カール7世)により建てられたニンフェンブルク宮殿内のアマリエンブルク。

オーストリア

オーストリア女帝マリア・テレジアが宮廷建築家ニコラウス・パカッシに命じてシェーンブルン宮殿をロココ様式に改築させた。「マリア・テレジア・イエロー」と呼ばれる黄色で壁面が覆われたのもこの時期である。

スウェーデン

スウェーデン国王グスタフ3世によりバロック様式だったドロットニングホルム宮殿にロココ調の大改装が加えられる(グスタヴィアン様式)。

ロシア

ロシア女帝
エカチェリーナ2世により建てられたサンクトペテルブルク近郊のツァールスコエ・セローエカテリーナ宮殿。ここの琥珀の間が有名。

絵画
フランス「ポンパドゥール夫人の肖像」(1755年、ラ・トゥール作)

この時代には、アカデミーのサロン(サロン・ド・パリとも呼ばれ1725年に第1回が開催)が定期的に開催され、美術品が広く鑑賞されるようになった。

アントワーヌ・ヴァトーフランソワ・ブーシェジャン・オノレ・フラゴナールなどの画家が知られている。ヴァトーはロココ前期(1710-20年代)、ブーシェはロココ盛期(1730-50年代)、フラゴナールはロココ後期(1760-80年代)の代表的な画家とされる。

ヴァトーが1717年にアカデミーに「シテール島への巡礼」を出品した際には「雅宴画(フェート・ギャラント)」の画家として承認された。なお1717年の「シテール島の巡礼」は現在ルーブル美術館にあり、それより数年後に描かれた別ヴァージョンはプロイセン国王フリードリヒ2世が1756年に購入して、ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿に飾られている。

ヴァトー没後に「雅宴画」の画家として正式に認められた人物には他にジャン=バティスト・パテルニコラ・ランクレがいる。優雅な男女が集い、恋の戯れや遊びに興じる「雅宴画」には、イタリア喜劇(コメディア・デラルテ)の配役(ジル、メズタン、アルルカン)も登場している。こうした演劇をモチーフにする絵画はヴァトーに先立つクロード・ジローによって先鞭がつけられたものである。

モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールが描いたポンパドゥール夫人(Madame de Pompadour)の肖像画(右図)が盛期ロココ時代の肖像画として有名。


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