ロカビリー
Rockabilly
様式的起源ブルース、カントリー・ミュージック、R&B
文化的起源発祥は1950年代中期
アメリカ合衆国
使用楽器ギター
ウッド・ベース(コントラバス、アップライト・ベース)
ベース
ドラム
ボーカル
ピアノ
アコースティック・ギターなど
融合ジャンル
ロックンロール
関連項目
下欄を参照
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ロカビリー(rockabilly)は、1950年代に誕生したポピュラー音楽の一ジャンル。ロッカビリー(Rock-A-Billy)とも呼ばれた。代表的なミュージシャンには、エルヴィス・プレスリーやカール・パーキンスらがいた。
概要1957年の映画『監獄ロック』でのエルヴィス・プレスリー
ロカビリーは、ロックンロール音楽の最も初期の様式の1つであり、その誕生はアメリカ合衆国南部の1950年代にさかのぼることができる。ロカビリーは、ブルースやR&Bと、カントリー・ミュージックの混合体として説明される場合が多い。ロカビリーという用語自体は、「ロック」と「ヒルビリー」の合成語であり、ヒルビリーはカントリーミュージックと呼ばれる以前のジャンルに与えられた名称だった。ロカビリーに重要な影響を与えたジャンルには、ブルース、ウエスタン・スウィング、カントリー、ブルーグラス、ブギウギなどがあげられる[1]。
ロカビリーサウンドの特徴には、強烈なウッドベースとドラムスによるリズム、シャウトするボーカルが含まれる。ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ[注 1]、エルヴィス・プレスリー、カール・パーキンス[2] エディ・コクラン[注 2]、ジェリー・リー・ルイス[注 3]、ジーン・ヴィンセント[注 4]、バディ・ホリーらによって1950年代後半に普及した。60年代半ばから70年代前半には衰退したが、ノスタルジー・ブームの後押しもあり、1970年代後半から1980年代初頭にかけてネオロカとして復活した。ロカビリーは、サイコビリー、カウ・パンクなどのサブ・ジャンルを生み出した。
主に白人ミュージシャンによるロックンロールの中で、特にカントリー・アンド・ウェスタンの要素が強くビートを強調したものをロカビリーと呼ぶ[3][4]。アコースティック・ベース(ウッド・ベース、ライトアップ・ベース)を使い、スラップ奏法が取り入れられた。70年代末以降のネオロカ・スタイルでは、ウッドベースがより強調されるようになった[注 5]。
歴史
1950年代Bill Haley and the Comets1956
1950年代初期のアメリカ南部、メンフィスなどの地域において、黒人音楽のブルースと、白人音楽のヒルビリー
(英語版)やカントリー、ブルーグラスが融合して生まれた。白人歌手によりロカビリーが流行した時期は、1954年ごろからの数年間である。1950年代当時のロカビリーは、ビル・ヘイリーと彼のコメッツ[注 6]やエルヴィス・プレスリー[5]らの人気シンガーがブームの牽引役だった。ウッドベースによるダイナミックなスラッピング奏法も、1957年頃には近代的なエレキベースに取って代わられ、ロカビリー人気は下降線をたどった。
さらにエルヴィス・プレスリーの徴兵、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、エディ・コクランらの事故死[注 7]は、ロカビリー及びロックンロールに大きな打撃を与え、1960年半ばまでにはロカビリーは衰退した。なお、日本でも踊られたロカビリーのダンスには、ジルバ(戦前にルーツを持つアフロアメリカン由来のJitter bug)などがある。その後、ジルバに代わって、ツイストがブームとなった。
歌い方はしゃっくりするように語尾をしゃくりあげる「ヒーカップ唱法」、吃音する(どもる)かのように口ごもって発音する「マンブリング唱法」、従来からのカントリー系の歌唱方法であるホンキートンク唱法がある。ロカビリーに欠かせない音楽的、特に器楽の特徴として、1920年代から1930年代における黒人系スウィングバンド、とりわけベーシスト特有の奏法である「スラッピングベース奏法(スラップ奏法)」[注 8]が挙げられる。この奏法では、ウッドベース(コントラバス)の弦を指で引っ張りつつ滑離し、低音とネックに当たる中高音をミックスさせた音を出し、更に手の平で弦をネックに叩きつけてパーカッション的効果を出す。
ギターにおいては、カントリーやロカビリー向けの奏法のひとつ、ギャロッピング奏法が用いられることが多く、エディ・コクランが用いたグレッチや、ギブソン社のフルアコースティックギター(スコティ・ムーア)で、ホロウ・ボディのギター以外にも、カントリー用として開発されたテレキャスターも重要である。ちなみに、ジェームズ・バートン[注 9]はミスター・テレキャスターの異名を持つ。 1962年のビートルズのデビューと、彼らを中心とした1964年以降のブリティッシュ・インヴェイジョンは、ロカビリーやロックンロールを抽象的な「ロック」に変えた。この新しいロック・ムーヴメントにより完全に廃れたロカビリーだったが、そんな時期に孤軍奮闘したのがシャ・ナ・ナである[6]。彼らは1969年の「ウッドストック・フェスティバル」に出演し、70年代前半には「シー・クルーズ」などをカバーした。 1970年代のパンク・ロックに影響を受け70年代末から80年代前半には、ストレイ・キャッツやロバート・ゴードン、シェイキン・スティーヴンス、ブラスターズらを中心にしたネオロカビリー 日本で、1956年にいち早くエルビス・プレスリーをカバーしたのは、カントリー歌手の小坂一也だった。小坂のロカビリーは、ロカビリー三人男よりも2年早かった。1958年、カントリー・ミュージックのバンド「オールスターズ・ワゴン
1960年代
1970年代以降
日本でのロカビリーの歴史ネオロカ・バンドは、伝統的・古典的な大型のウッドベースやドラム・キットを使用した。
第一次ブーム