ろうそく(漢字表記:蝋燭あるいは?燭[注釈 1]、英語: candle キャンドル)は、綿糸などの糸あるいはイグサ(灯芯草)を芯(英語版)にして、その周囲に円柱状に蝋(ろう)を固めて成型した灯火用具[1]。ロウソク、ローソクとも。 ロウソクの先端にある芯に火をともすと、炎の熱で周囲の蝋が融解して溜まり、液体の蝋が芯を伝わって吸い上げられる[1][2]。芯に吸い上げられた蝋が炎の周りで空気を取り込み、高温ガスとなって燃焼する一連のサイクルが継続することで燃え続けることができる[1]。 ろうそくの原理に関する代表的な著作にマイケル・ファラデー著の『ロウソクの科学』がある[2]。なお、光源の明るさの単位のカンデラ(燭光)は、元々、特定の規格のろうそくの明るさを基準として決められた単位である。また、ロウソクの炎には内炎・外炎・炎心の構造がある。 最も原始的な形のろうそくは蜜蝋(ミツバチが巣を作るために腹部から分泌する蝋)を使った「蜜ろうそく」で、紀元前3世紀頃には西洋や中国で製造されていたといわれている[1]。 古代エジプトではミイラ作成などで古くから蜜蝋が使われており、2300年前のツタンカーメンの王墓からは燭台が発見されていることから、ろうそくが古くより高級なものとして一部の貴族、王族の間で使われていたと見られている。紀元前3世紀のエトルリア(現在のイタリアの一部)の遺跡から燭台の絵が出土し、この時代にろうそくがあったことは確かだとされる。この時代の中国の遺跡でも燭台が出土している。 ヨーロッパにおいては、ガス灯の登場する19世紀まで、高級であり貴族の間で室内の主な照明として用いられた。キリスト教の典礼で必ず使われるため、極一部の修道院などでミツバチを飼い、巣板から蜜ろうそくを生産することが行われたが修道院内での使用に留まった。釣燭台(シャンデリア)は本来ろうそくを光源とするものであり、従僕が長い棒の先に灯りをつけ、ろうそくにそれぞれ点火した。蜜ろうそくの他には獣脂を原料とするろうそくが生産されたが非常に高価であり庶民には普及しなかった。マッコウクジラの脳油を原料とするものが特に高級品とされ、19世紀にはアメリカ合衆国を中心に盛んに捕鯨が行われたが非常に高価であり一般には普及しなかった。和蝋燭の製造元江戸時代に蝋を採集したハゼノキ(山口県指定天然記念物) 日本でろうそくが最初に登場したのは奈良時代で、仏教とともに伝来した中国からの輸入品の蜜ろうそくと考えられている[1][3]。平安時代になり遣唐使が廃止されたため蜜ろうそくに代わって松脂ろうそくの製造が始まったともいわれている[3]。10世紀中頃の『和名類聚抄』巻十二の記述には、「唐式云少府監毎年供蝋燭七十挺」と説明・記述されている。その後、室町時代には日本でも本格的なロウソクが作られた。た[1][注釈 2]。その後、ハゼノキや漆の実を原料にした「和ろうそく」が作られるようになった[1][3]。江戸時代中期には各地でハゼノキの栽培が奨励され和ろうそくの生産が急速に増加した。[1][3](行灯等も参照)。明治時代になり西洋ろうそくの輸入や国産化が始まり、昭和初期まで数百の和ろうそくの業者があったが次第に専門業者は減っていった[1]。
原理
歴史ドイツ南西部、オーバーフラハト墓地遺跡
原料の変遷
量産化