ロイ・ハラデー
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ロイ・ハラデー

ロイ・ハラディ

ロイ・ハラデイ
Roy Halladay
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地コロラド州デンバー
生年月日 (1977-05-14) 1977年5月14日
没年月日 (2017-11-07) 2017年11月7日(40歳没)
身長
体重6' 6" =約198.1 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1995年 MLBドラフト1巡目(全体17位)でトロント・ブルージェイズから指名
初出場1998年9月20日 デビルレイズ
最終出場2013年9月23日 マーリンズ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


トロント・ブルージェイズ (1998 - 2009)

フィラデルフィア・フィリーズ (2010 - 2013)

カナダ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2017年
アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2019年
得票率85.41%
選出方法BBWAA選出
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ハリー・リロイ・ハラデイ3世(Harry Leroy "Roy" Halladay III, 1977年5月14日 - 2017年11月7日)は、アメリカ合衆国コロラド州デンバー出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

2000年代のMLBを代表する先発投手の一人。ESPNから2000年から2009年までの10年間の All-Decade team 先発右腕部門に選出されている[1]

19世紀のガンマンのドク・ホリデイに名前が似ていることから、"ドク"(Doc)という愛称をもつ。
経歴
プロ入り前

コロラド州のアーバダ西高校に在籍時は野球部で投手として通算22勝1敗を記録しているほか、バスケットボールでも活躍。当時の野球部チームメイトは「ハラデイがバスケしているのを観に行くと野球部のやつらはみんな、彼がダンクするたびに、着地で足首を痛めていないことを確認しては安堵のため息を漏らしていた」と証言している[2]
プロ入りとブルージェイズ時代

1995年6月にMLBドラフトトロント・ブルージェイズから1巡目(全体17位)指名を受け[3]、入団。

同年はマイナーリーグのルーキー級で先発8試合とリリーフ2試合をこなし、プロ1年目を終えた。1996年は、Adv-A級ダニーデンで球団マイナー組織最多の15勝を挙げ、球団マイナー最優秀選手とフロリダ・ステートリーグのオールスターに選出される[4]1997年にはAA級ノックスビルで開幕を迎え、すぐにAAA級シラキュースへ昇格。当時ハラデイはまだプロ3年目・20歳で、シラキュースが参加するインターナショナルリーグでは最年少だった[4]

1998年9月20日にメジャーデビュー。21歳130日でのデビューは球団史上3番目の若さだった[5]。2度目の登板となった9月27日のシーズン最終戦(タイガース戦)では9回二死まで相手打線を無安打に封じる好投を見せる[6]。続く1999年には先発とリリーフの両方をこなして8勝7敗・防御率3.92を記録し、次期エース候補として期待されるようになった[7]

しかし、2000年は極度の不振に陥り、成績が4勝7敗・防御率10.64と低迷。これは10試合以上に先発登板した投手で歴代ワーストの防御率となった(2011年ブライアン・マティスが防御率10.69でワースト記録を更新した)[8]。これにより翌2001年シーズンの開幕をマイナーAdv-A級ダニーデンまで降格して迎えることになった。ハラデイはこのとき、8歳のとき以来味わったことがないという挫折感を味わった[9]。「前の年にスランプになって自信を失い、自分の投球に疑問を持つようになった」「(A級降格は)まるで悪夢のようで、最初の1週間は信じられなかった」という[7]

そこで、ダニーデンでは投手コーチのメル・クイーンとともに、投球フォームの改造と精神面の強化に取り組んだ。投球フォームは腕の角度を下げるようにし、それによってシンカーがより大きく沈むようになった[9][10]。一方のメンタル面では、心理学者2人のカウンセリングを受けた[7]。また、心理学者ハーベイ・ドーフマンの著作 The Mental ABC's of Pitching: A Handbook for Performance Enhancement(『ピッチングの精神的イロハ』)を妻に薦められて手にし、これは今でもハラデイの愛読書となっている[9]。こうした道のりを経て7月にメジャーに復帰すると、16先発中13試合でクオリティ・スタートを記録する安定した投球を披露した。翌2002年はシーズン開幕から先発ローテーションに定着し、アメリカンリーグ最多の239.1イニングを投げ19勝(リーグ4位)7敗・防御率2.93(同5位)を記録した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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