ロイ・トーマス・ベイカー
Roy Thomas Baker
ロイ・トーマス・ベイカー(2005年)
基本情報
別名RTB
出身地 イングランド
ジャンルロック、ポップス、ニュー・ウェイヴ、パワー・ポップ、ハードロック、グラムロック、グラム・メタル、オルタナティヴ・ロック
職業音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、理事
活動期間1970年 -
レーベルデッカ、トライデント
ロイ・トーマス・ベイカー(Roy Thomas Baker)は、英国の音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、レコーディング・アカデミーの理事である。1970年代から、主にポップスとロックの分野で活躍している[1]。 ベイカーは14歳の時、デッカ・レコードでキャリアを始めた。その後、音楽プロデューサーのガス・ダッジョンの影響ですぐにトライデント・スタジオに移り、ダッジョン、 トニー・ヴィスコンティ、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、フランク・ザッパ、ローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイ、ザ・フー、ガソリン、ナザレス、サンタナ、マザーズ・オブ・インヴェンション、ビー・バップ・デラックス、フリー、T・レックスらと作業した。 ネプチューン(トライデントのレコード会社)を共同設立した後、ベイカーはロックバンドのクイーンと出会った。彼はクイーンのアルバム『戦慄の王女』、『クイーンII』、『シアー・ハート・アタック』、『オペラ座の夜』、『ジャズ』の5タイトルをプロデュースし、彼らの最大のヒットソングの一つである「ボヘミアン・ラプソディ 」に対するグラミー賞とギネス世界記録を含む、数多くの賞を受賞している。 ベイカーは、クイーンや他のアーティストとの成功に続き、CBS Music(コロムビア・レコード、ソニー・ミュージック、エピック・レコードなど)とマルチアルバム制作契約を結んだ。その後、彼は米国に移り、ニューヨークとロサンゼルスにRTBオーディオビジュアルプロダクションのオフィスを設立した。この時、新しいCBSとの契約に基づき、RTBはジャーニー、スターキャッスル、レジー・ナイトン(グラス・ルーツ)、イアン・ハンター、ロン・ウッド(ローリング・ストーンズ)をプロデュースした。 ベイカーはまたこの時、エレクトラ・レコードにボストンの学校の体育館でのパフォーマンスを見るよう促された後、カーズと4枚のアルバムをプロデュースすることを約束した。アルバムはプラチナ認定を受け、カーズはグラミー賞にノミネートされた。 彼は、管理職またはプロデューサーとして、エレクトラのA&RにおけるSVPの役職をオファーされた。つまり、クイーンやカーズとも仕事を続けながら、ザ・ワールド、リンジー・バッキンガム、モトリー・クルー、ジョー・リン・ターナー、ジョシー・コットン、ドッケンのプロデュースも受け持つことになったのだ。SVP在任中、エレクトラはメタリカ、シンプリー・レッド、イエロー、ピーター・シリング、ザ・ワールド、10,000マニアックスとも契約した。 ベイカーは、アーティストのガンズ・アンド・ローゼズ、アリス・クーパー、フォリナー、パイロット、オジー・オズボーン、ディーヴォ、ストラングラーズ、ダスティ・スプリングフィールド、トゥ・パウ、チープ・トリック、ルイス・フューレイ ベイカーはロサンゼルス、ヨーロッパ、アリゾナにあるRTBスタジオデュラックで生活している。彼は、エンターテインメント・エグゼクティブおよび女優のテレ・リブラノ・ベイカーと結婚している。 ロイ・トーマス・ベイカーによるプロデュース:
キャリア
私生活
主なディスコグラフィ
アーノルド・コーンズ: "Man in the Middle" (1971年) ※シングル。1985年発表
フリー: 『ファイアー・アンド・ウォーター』 (1970年)
ナザレス: Nazareth (1971年) ※エンジニア
ナザレス: Exercises (1972年)
ガソリン: Gasolin' 3 (1973年)
ガソリン: Stakkels Jim (1974年) ※英題『Poor Jim』
クイーン: 『戦慄の王女』 (1973年) ※Roy Baker名義