ロイ・スタンレー・ガイガー
Roy Stanley Geiger
ロイ・ガイガー
渾名Jiggs[1]
生誕1885年1月25日
フロリダ州 ミドルバーグ
ロイ・スタンレー・ガイガー(Roy Stanley Geiger, 1885年1月25日-1947年1月23日)はアメリカ海兵隊の軍人、最終階級は大将。
第二次世界大戦において陸軍を指揮した最初の海兵隊指揮官の一人。ノースカロライナ州にある海兵隊の基地キャンプ・ガイガー(英語版)はガイガーの栄誉を讃えて命名されている。沖縄戦に第3海兵水陸両用部隊司令官として参加。1945年6月18日のサイモン・B・バックナー・ジュニア陸軍中将の戦死後、第10軍の指揮権をジョセフ・スティルウェル陸軍大将が着任する6月23日までの間、引き継いだ[3]。 ロイ・スタンレー・ガイガーは1885年1月25日にフロリダ州ミドルバーグに生まれ、フロリダ州立産業大学
生涯
海兵への道
サウスカロライナ州ポート・ロイヤル(英語版)にある海兵隊将校学校への出席を経たのち、ガイガーは戦艦「ウィスコンシン」 (USS Wisconsin, BB-9) と「デラウェア」 (USS Delaware, BB-28) に分乗する海外派遣隊のメンバーに選出された。1912年8月、ガイガーはニカラグアに派遣され、マサヤ地区のコヨテペおよびバランカへの砲撃、攻撃および捕縛作戦に参加。海外派遣は引き続いて旅団規模で行われ、1913年から1916年の間にはアメリカ領フィリピンや成立直後の中華民国にあるアメリカ公使館に派遣され、北京などで権益保護任務にあたった。
1916年3月、ガイガーはフロリダ州ペンサコーラにある海軍飛行学校(英語版)に入校してパイロット免許の取得に励み、翌1917年6月に所定の課程を終えて海軍パイロット免許が与えられた。 1918年7月、ガイガーは更なる訓練がてら第一次世界大戦末期のフランスに派遣され、ダンケルクにおいてイギリス空軍第5集団
第一次世界大戦と戦間期