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出典検索?: "ロイヤル・オードナンス L7" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2023年5月)
L7 砲口部より
展示用のカットモデル
ロイヤル・オードナンス L7(Royal Ordnance L7)は、イギリスで開発された105mm戦車砲である。ロイヤル・オードナンス(Royal Ordnance Factories)で開発され、第二次世界大戦後第二世代主力戦車の主砲として世界的に広く採用された。 L7は、戦後(冷戦時代)第一世代戦車であるセンチュリオンが搭載していたオードナンス QF 20ポンド砲の後継としてイギリスのロイヤル・オードナンスにおいて、1950年代に開発された。 戦後世代のイギリス戦車の武装としてだけではなく、いわゆる「西側諸国」のほとんどの第二世代主力戦車(Main Battle Tank)の主砲としても採用され、冷戦の期間中に開発された戦闘車両の標準的な主砲として、また、旧式戦車の戦闘力増強のためのレトロフィットとして使用された。手動装填砲のみならず、自動装填装置と組み合わせても用いられ、スウェーデン陸軍のStrv.103や、アメリカ陸軍の装輪装甲車であるストライカー装甲車をベースにした機動砲システム(ストライカーMGS)の主武装としても採用されている。 L7は、1950年代当時のワルシャワ条約機構軍の戦車(IS-3とT-54)、および将来登場するであろう新戦車を撃破することが不可能と判断された20ポンド砲を置き換えるために開発が開始され、20ポンド砲の砲塔に搭載可能なように設計された。このため、センチュリオンは最小の改修によって火力の増強が可能となり、短時間かつ低価格でアップグレードすることが可能となった。これは、センチュリオンの支援を目的に配備されたコンカラー重戦車の存在意義を奪う一因となった。 1956年のハンガリー動乱におけるT-54の出現は、L7開発を促進させる一因となった。完成したL7は、1959年よりセンチュリオンに搭載され各種試験が行われた。同年中にL7の試験は終了した。 L7を最初に採用した戦車は、当初の計画の通り改修により主砲を換装したセンチュリオン Mk.5/2であった。その後にL7はイギリス以外の多くの国で、新型戦車の主砲として採用された。代表的な例としては、西ドイツ(当時)のレオパルト1シリーズ(新たにL7A3が開発された)、日本の74式戦車(日本製鋼所でライセンス生産された)、スウェーデンのStrv.103(より長い砲身と自動装填装置を持つL74が開発された)、アメリカのM60戦車シリーズ、イスラエルのメルカバおよび韓国のK1戦車(88式戦車)である。
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