ロイヤルアルバート橋
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ロイヤルアルバート橋

基本情報
イギリス
所在地プリマス - サルタッシュ(英語版)間
交差物件テイマー川(英語版)
用途鉄道橋
管理者ネットワーク・レール
設計者イザムバード・キングダム・ブルネル
着工1854年5月
竣工1859年4月
開通1859年5月2日
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度24分27.27秒 西経04度12分12.20秒 / 北緯50.4075750度 西経4.2033889度 / 50.4075750; -4.2033889座標: 北緯50度24分27.27秒 西経04度12分12.20秒 / 北緯50.4075750度 西経4.2033889度 / 50.4075750; -4.2033889
構造諸元
形式2連レンズ状トラス橋
材料錬鉄
全長666.8 m
幅5.13 m 橋脚内側
高さ52.4 m
最大支間長138.7 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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ロイヤルアルバート橋(ロイヤルアルバートきょう、英語: Royal Albert Bridge、場合によってはサルタッシュ橋 Saltash Bridge)は、イギリスデヴォンプリマスコーンウォール・サルタッシュ(英語版)を結ぶテイマー川(英語版)に架かる鉄道橋である。特徴的な長さ455フィート(約138.7 m)の2連のレンズ状錬鉄トラスが水面上100フィート(約30.5 m)に架設されており、アプローチの桁は在来型のプレートガーダーとなっている。これにより全長は2,187.5フィート(約666.8 m)となっている。コーンウォールへ結ぶコーニッシュ本線(英語版)を通している。

設計はイザムバード・キングダム・ブルネルによる。調査は1848年に開始され、1854年に着工した。1857年に最初の主桁が架設され、1859年5月2日にアルバート王子の臨席により開通した。ブルネルはこの年の末に亡くなり、記念として橋の両端の入口部分に名前が描かれている。20世紀になってから、アプローチの桁を交換し主桁を補強する工事が行われている。その建設以来多くの観光客を集め、多くの絵画・写真・ガイドブックに載っている。開通の100周年・150周年行事が1959年と2009年にそれぞれ行われている。
コーンウォール鉄道

ファルマスへ結ぶ鉄道は、1830年代に2つの異なる提案が行われた。「中央案」は、エクセターからダートムーアの北を周っていく経路で、建設は簡単であったが中間の交通量は少なかった。もう一方は「海岸案」で、多くの技術的に困難な点がある路線であったが、重要な海軍の町プリマスとセントオーステル(英語版)周辺の工業地帯を通ることができる。中央案はロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道(英語版)が支持していたのに対し、海岸案はコーンウォール鉄道(英語版)と、デヴォンポート(英語版)においてサウス・デヴォン鉄道(英語版)とこの鉄道が接続することを望むグレート・ウェスタン鉄道が支持していた。1845年にコーンウォール鉄道は議員立法を提案したがこれは却下された。これは、ウィリアム・ムーアソン(英語版)の計画ではハーモウズ(英語版)の入江を鉄道連絡船で結ぶことになっていたことも一因であった。これを受けてイザムバード・キングダム・ブルネルは主任技術者を引き継ぎ、テイマー川上流のサルタッシュで川を渡る提案を行った。この提案に基づく法案は1846年8月3日に通過した[1]
設計1径間とその橋脚を描いた図

設計は、19世紀中盤に架けられた巨大な錬鉄製橋梁3つのうちの最後の橋として、これ以前にロバート・スチーブンソンが設計して架けた2つの橋に影響を受けている。ブルネルの橋の2つの中央径間は、スチーブンソンがニューカッスル・アポン・タインタイン川に1849年に架けたハイ・レベル橋(英語版)の設計の新しい応用であった。また同年、メナイ海峡を渡るブリタニア橋の橋桁をスチーブンソンが架設する作業を行った際にブルネルは現地を訪問していた[2]。1849年から1853年にかけてブルネル自身も鉄製の橋を架けている。ワイ川に架かるチェプストウ鉄道橋(英語版)は、サウス・ウェールズ鉄道(英語版)を通しており、後にロイヤルアルバート橋に用いられた方法と同様の、300フィート(約91 m)の曲がったチューブ状の主桁を用いたトラスと100フィート(約30 m)の在来型プレートガーダーのアプローチを特徴としていた[3]

サルタッシュでは、テイマー川は約1,100フィート(約340 m)の幅である。ブルネルの最初の構想では、ここを木造の橋で渡り、その中央の支間は255フィート(約78 m)、6つのアプローチの支間は105フィート(約32 m)で、水面上80フィート(約24 m)の空頭高を確保するものであった。しかしこれは、航行可能な水路に法的な責任を持つ海軍本部によって却下され、ブルネルは100フィート(約30 m)の空頭高を確保するために2つの中央支間を300フィート(約91 m)に、2つのアプローチ支間を200フィート(約61 m)とする設計を考え出した[4]。実際に建設された最終設計では、2つの錬鉄製主桁の支間は455フィート(約138.7 m)、空頭高は平均的な大潮の時期に対して100フィート(約30.5 m)となった。この2つの支間はレンズ状のトラスとなっており、上側の弦は重いチューブ状の圧縮力を受けるアーチとなっており、一方で下側の弦は鎖で構成されている。各トラスは単純に載せられているだけであるので、橋脚には水平方向の力はまったく働かなくなっており、これは両端の曲線を描いた線路を考えると重要である。これら2つの弦の間にはX字の補強材が入っており、また下弦より下にある線路を通す連続プレート桁を吊るハンガーが通されている。また両岸には17の短い在来型のプレートガーダーのアプローチがある。コーンウォール側の岸では、サルタッシュ駅から川の方へ向かって67.5フィート (20.6 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、72.5フィート (22.1 m)、78.0フィート (23.8 m)、93.0フィート (28.3 m) の10径間で、これに対してデヴォン側の岸では川から岸へ向かって93.0フィート (28.3 m)、83.5フィート (25.5 m)、78.0フィート (23.8 m)、72.5フィート (22.1 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)、69.5フィート (21.2 m)の7径間となっている。これにより19支間で全長2,187.5フィート (666.8 m)となっている[3]
歴史
建設ブルネルの調査に際して、彼が設計した水位記録計

最初の作業は河床を正確に調査することであった。1848年4月26日、直径6フィート(約1.8 m)、高さ85フィート(約25.9 m)の鉄製の円筒がテイマー川に送り出された。この円筒の底で、河床を調査してその性質や堅固な基礎の位置を調査した。コーンウォール鉄道はこの時点では必要な資金を集めることができず、ほとんどの作業はこの年の夏に中断されたが、わずかな資金でブルネルは調査を続行することができた。円筒は35か所に降ろされて、合計175本のボーリングが実施された[3]

1853年、コーンウォール鉄道取締役会はこの橋の入札を行うことを決定し、ロンドン・ブラックウォール(英語版)の造船業者で、ブリタニア橋の鉄構を請け負ったチャールズ・メア (Charles Mare) に建設作業を請け負わせることになった。彼がロイヤルアルバート橋を建設するために必要と見積もった額は162,000ポンドであったが、1855年9月21日、メアは破産してしまった。ブルネルは会社に対して、他に契約して請け負わせずに会社自身がこの作業を引き継ぐべきであると提案し、会社もこれに同意した。建設中の最初の桁と中央の橋脚、1854年にサルタッシュ側から見たもの

メアの最初の仕事は、デヴォン側の岸に桟橋と工場を備えた組み立て作業場を設置することであった。その後、直径37フィート(約11.3 m)、高さ90フィート(約27.4 m)の鉄製の円筒が造られ、これが中央の橋脚を建設する作業場とされた。円筒は1854年5月に送り出され、川の中央で4つのポンツーンの間に係留された。円筒の底は、1848年に調査された基盤の岩の形状に合わせて造られていた。川の底に円筒を設置して、その中の水がポンプで抜かれ、中の泥が掻き出された後、水のない状態で堅固な石の橋脚が建設された。この作業は1856年11月に完了した。

川のコーンウォール側にある陸向きの橋脚は1854年に完成し、これらの橋脚に載せられる桁は正しい位置に持ち上げられて設置された。次に建設されるのはコーンウォール側の主トラスであった。トラスの下弦は全長20フィート(約6.1 m)の長さのリンクで造られた鎖で構成されている。この鎖の多くは、やはりブルネルが取り組んでいたが中断されていたクリフトン吊橋(英語版)から持ってきたもので、残りはサルタッシュにおいて新たに製造された。コーンウォール側の桁は1857年9月1日に所定の位置まで浮かせて移動され、そこから3フィート(約910 mm)ずつ、桁の下の橋脚が造られるたびに所定の高さまでジャッキアップされていった。中央の橋脚では八角形の鋳鉄製の柱が使われたが、陸側の橋脚は通常の石造のものであった。2番目の主桁が所定の位置まで移動され、最初の12フィート(約3.7 m)を持ち上げられた状態

トラスの組み立て作業場から最初のトラスが運び出されたので、デヴォン側のトラスの組み立て作業を始められることになった。これは最初のトラスとまったく同様に、1858年7月10日に浮かせて所定の位置に移動され、そこから同様の方法で持ち上げられていき、1858年12月28日に最終的な位置に据えられた。このトラスが運び出された後、作業場の一部は陸側の橋脚を立てるために整理され、その後デヴォン側のアプローチの桁が所定位置に持ち上げられた。作業が十分進捗したため、工事監督は1859年4月11日には列車で通って検査をすることができるようになった。

コーンウォール側のトラスは、現地に送りだされる前に試験が行われた。両端が木造の頑丈な橋脚で支えられ、他の足場は撤去された。桁に対して静的な荷重が1フィートあたり1.25トン、その次に2.25トンかけられ、桁のたわみと荷重を除去した後の変化を測定された。


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