ロアン家(フランス語:Maison de Rohan)は、子爵、のちに公爵となった、ブルターニュのロアン発祥のフランス貴族の家系。ポルオエ子爵家から分かれた家であり、伝説上のブルターニュ領主コナン・メリアドック(Conan Meriadoc)にさかのぼることができるといわれている。ポルオエ家を通して、ロアン家はブルターニュ公爵家とも繋がりがあった。また、ロアン家はフランス王家、イングランド王家とも姻戚関係を持ち、フランスおよびヨーロッパの歴史において重要な役割を果たした。
歴史アルザス、ムツィグのロアン城(英語版)(1673年完成)パリのオテル・ド・ロアン=スービーズ(英語版)(1705年完成)アルザス、ストラスブールのロアン宮殿(英語版)(1742年完成)アキテーヌ、ボルドーのロアン宮殿(英語版)(1774年完成)アルザス、サヴェルヌのロアン宮殿(英語版)(1790年完成)オーストリア、ウィーンのロアン宮殿(1864年完成)
ポルオエ子爵の息子であったアラン1世・ド・ロアンが生地の名を取って初めてロアンを名乗った。
本家は1638年にジャン2世が後継者なく死去し断絶し、その所領は分家のロアン=ジエ(Rohan-Gie)家に引き継がれた。
初代ロアン公アンリ・ド・ロアン=ジエが死去した時、その爵位と家名は唯一の娘が結婚したアンリ・シャボーの子孫に継承された。これによりロアン=シャボー家が創設されたが、ロアン家の男系分家ではない。
17世紀から18世紀にかけて、かつてのブルターニュ王の子孫であることから、ロアン家はプランス・エトランジェの称号と、ストラスブール大司教の世襲権を得た。
ロアン=ジエ家は1638年に、ロアン=スービーズ家は1787年に断絶した。 ウード1世 アラン8世
系図
ロアン子爵家(祖家)
ポルオエ子爵
アラン1世
(-c.1127)
アラン2世
(-1170)
コナン4世
ブルターニュ公 コンスタンス
(ブルターニュ女公ベルト娘) アラン3世
(1135-1195)
コンスタンス
ブルターニュ女公 アラン4世
(1166-1205)
マルグリット ジョフロワ1世
(-1221) オリヴィエ1世
(-1228) アラン5世
(-1242) エレオノール
(ポルオエ子爵ウード3世娘)
アラン6世
(-1304)
オリヴィエ2世
(-1326)
アラン7世
(-c.1352)
ジャンヌ・ド・レオン ジャン1世
(1324-1396) ジャンヌ
(ナバラ王フェリペ3世娘)
アラン8世
(-1429)
レオン領主 シャルル
ゲメネ領主
レオン家 ゲメネ家
レオン家
(-1429)
レオン領主
マルグリット