レーザーディスク
LaserDisc, LD
レーザーディスク(左)とDVD(右)
メディアの種類光ディスク
記録容量
30cm LD
CAV:片面30分、両面60分
CLV:片面60分、両面120分
20cm LD
CAV:片面14分、両面28分
CLV:片面20分、両面40分
LDシングル
CAV:14分
CLV:20分
フォーマットアナログ(映像・音声)
デジタル(音声)
回転速度CAV:1800rpm
CLV:1800 - 600rpm
読み取り方法632.8nm赤色He-Neレーザー(初期)
780nm赤外線半導体レーザー
回転制御方式CAV、CLV
策定フィリップス、MCA
主な用途映像、音楽、ゲームなど
ディスクの直径30cm、20cm
大きさ300×300×2.5mm
200×200×2.5mm
200×200×1.2mm(LDシングル)
重さ約480グラム(30cm LD)
上位規格Hi-Vision LD
DVD
下位規格VHS
ベータマックス
関連規格VHD(競合規格)
テンプレートを表示
レーザーディスク (LaserDisc, LD) は、直径30cmの光ディスクに両面で最大2時間のアナログ映像を記録できるビデオディスク規格である。ディスクはLPレコード並みに大きい反面、同時期に普及していたビデオ規格のVHSより高画質であり、主にマニアや富裕層において普及した。両面記録されている長時間の動画ではディスクの裏返しが必要で、視聴が一旦途切れるという欠点がある。
民生用は再生のみであるが、業務用では1990年代前半に録画(追記または書換)可能なメディアと機種が開発・販売された[注釈 1]。
2000年頃から手軽に高画質な映像が視聴できるDVDが一般層にも普及したことにより、役割を終えた。 日本国内における「レーザーディスク」は、パイオニアの登録商標とされている[1][注釈 2]。パイオニア以外のメーカーでは規格名であるレーザービジョン (LaserVision, LV) が用いられていた。1989年(平成元年)10月にパイオニアが「レーザーディスク」の商標を無償開放したことで他メーカーも使用できるようになった[3]が、使用有無は各メーカーに委ねられた。また、パイオニアでは「絵の出るレコード」というキャッチコピーも使われていた[4]。 1972年(昭和47年)9月にオランダのフィリップスが光学式ビデオディスク規格としてVLP (Video Long Play) 方式、同年12月にアメリカ合衆国のMCAがディスコビジョン
名称
歴史
黎明期
日本では、1972年よりビデオディスクの研究を進めていた音響機器メーカーのパイオニアが、石塚庸三のリーダーシップで1978年に甲府市の半導体研究所にDVAと合弁会社ユニバーサルパイオニア株式会社 (UPC) を設立したうえ、LDプレーヤーおよび光ディスクの開発と製造から事業参画し、アメリカ市場で1979年(昭和54年)2月に業務用LDプレーヤーPR-7820、1980年(昭和55年)6月に家庭用LDプレーヤーVP-1000を発売。日本では1981年(昭和56年)10月にパイオニアが所沢工場で製造したLD-1000の発売によって市販化した。そしてDVAとフィリップスの撤退により、高度なクリーンルームにフルオートメーション設備を備えた最新鋭の光ディスク製造工場として甲府工場を新設した、ユニバーサルパイオニアのDVA持分をパイオニアが買収してパイオニアビデオ株式会社に社名を変更し、普及を推進することになった。 1981年当時、日本市場のビデオディスクは松下電器産業(現:パナソニック)、東芝、三菱電機をはじめとする電機メーカー12社がビデオデッキ市場でVHS方式を広めた実績がある日本ビクター(現:JVCケンウッド)が開発したVHDを支持しており、LDプレーヤーは1983年までパイオニア一社のみが販売するという規格争いを繰り広げることになる。VHDはレコード盤技術の応用でプレーヤーやディスクの製造コストが低廉で、VHSと同様に松下電器の販売力から市場制覇が期待されていたが、水平解像度が240本程度であるうえにピックアップが接触式で耐久性や機能拡張性に難があること、そして市販化が1983年(昭和58年)4月と遅れをとったため、価格面を除いて優位性が見られず、1984年よりソニー、日立製作所、日本コロムビア、ティアック、日本マランツ、三洋電機、日本楽器製造(現:ヤマハ)、東芝、三菱電機、日本電気ホームエレクトロニクスなどがパイオニアの技術供与を受け、LDプレーヤーの製造販売に参入する。1985年(昭和60年)以降、ビデオディスクのシェアの過半数をLDが獲得したことでVHDとの規格争いに勝利した(詳細は「VHD#ビデオディスクの規格争い」を参照)。 最初期のLDプレーヤーはピックアップの読み取りにヘリウムネオンレーザーを使用し、モーターなどの部品なども大型であり、エントリーモデルの価格帯が14万円前後だったVHDプレーヤーと比べて20万円前後と高価であった。1984年にパイオニアとシャープの共同開発で半導体レーザーの実装化に成功し、VHDとの規格争いで参入メーカーが増加して量産化したことでコストの問題を解決させたことが、VHDとの規格争いでLDを勝利に導いたと言われる[5]。1985年(昭和60年)に10万円を切る価格で発売された日本楽器製造(現:ヤマハ)のLV-X1を皮切りに、パイオニア、ソニー、松下電器産業、ケンウッド(現:JVCケンウッド)といった各社から「ロッキュッパモデル」と言われた69,000円台の普及価格帯のLDプレーヤーやCD/LDコンパチプルプレーヤーが次々と登場し、バブル景気の1990年代前半はローエンド機からマイクミキサー内蔵のLDカラオケやスピーカー・コンポ一体型のハイエンド機まで多種多彩な機種が発売されていた。 LDソフトは、パイオニアがセルビデオ製作会社として山梨パイオニア(後のパイオニアLDC、現NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)を設立し、ハリウッドや日本の映画会社などからフィルムの供給を受けて製品化する体制をいち早く確立した。メインとなった映画ソフトは製造コストや版権料から7,000円 - 1万円前後の価格設定で発売されていたが、1980年代終盤からパイオニアLDCが中心となって「エバーグリーンシリーズ」「ブロックバスター」などと称して5,000円を切る価格帯で次々と人気ソフトを発売するようになる。
規格争い
普及