レ・ヴァンピール_吸血ギャング団
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レ・ヴァンピール 吸血ギャング団
Les Vampires
ポスター(1916年)
監督ルイ・フイヤード
出演者ミュジドラ
エデュアール・マテ
マルセル・レベスク
製作会社 ゴーモン
配給 ゴーモン
公開1915年11月13日 - 1916年6月30日
1917年10月31日[1][2]
上映時間合計417分
製作国 フランス
言語無声フランス語インタータイトル
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第1話『首なし死体』全編、英語字幕

『レ・ヴァンピール 吸血ギャング団』(レ・ヴァンピール きゅうけつギャングだん、: Les Vampires)とは、1915年から1916年にかけて公開されたフランスサイレント連続活劇である。監督はルイ・フイヤード。出演はミュジドラ、エデュアール・マテ、 マルセル・レベスク。「レ・ヴァンピール(吸血鬼)」と呼ばれるギャング団を追跡する新聞記者の活躍を描く。全10話、トータルで7時間ほどある。製作と配給はゴーモン。様式の類似性から、フイヤードの他の犯罪もの『ファントマ』『ジュデックス』と本作は三部作とみなされている[3]。日本では大正6年(1917年)に『ドラルー』(青年探偵の名前)という邦題で、全4篇14巻として公開されている[1][2]

前作『ファントマ』を成功させたフイヤードだったが、ライバル会社のパテに対抗すべく、大急ぎでかつ低予算でこの映画を製作した。脚本もほとんど出来ていない状態だった。公開すると、内容の不道徳性、他作品と比べて映画技術が劣っていることから批評家にはさんざん叩かれたが、戦時中の観客には大受けで、ミュジドラは一躍フランス映画界のスターとなった[4]。後には、フリッツ・ラングアルフレッド・ヒッチコック、さらにはルイス・ブニュエルに影響を与えた[5]。近年は評価が高まり、『死ぬまでに観たい映画1001本』にも選出されている[6]
タイトル

全10話のタイトルは以下の通り(邦題は2008年に紀伊國屋書店にて発売されたDVDBOX クリティカル・エディションから)。

邦題原題仏公開日時間
1"首なし死体"La Tete Coupee1915年11月13日33分
2"殺しの指輪"La Bague Qui Tue1915年11月13日15分
3"赤い暗号文"Le Cryptogramme Rouge1915年12月4日39分
4"幽霊"Le Spectre1916年1月7日30分
5"死者の逃亡"L'evasion Du Mort1916年1月28日35分
6"幻惑する眼"Les Yeux Qui Fascinent1916年3月24日54分
7"サタナス"Satanus1916年4月15日46分
8"稲妻の主"Le Maitre de la Foudre1916年5月12日52分
9"毒の人"L'homme des Poisons1916年6月2日48分
10"血に染まった結婚"Les Noces Sanglantes1916年6月30日60分

キャスト

イルマ・ヴェップ(女盗賊);
ミュジドラ - Irma VepはVampireのアナグラム。アルマ・ヴェップとも。

フィリップ・ゲランド(新聞記者); エデュアール・マテ

マザメット(ゲランドの相棒); マルセル・レベスク
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ミュジドラ

マテ

レベスク

制作

犯罪ものの連続活劇は当時人気で、多数作られていた。フイヤードの前作『ファントマ』も大ヒットしていた[7]。『レ・ヴァンピール』が作られるきっかけとなったのはライバル社パテの動向があったものと考えられている。パテはアメリカの連続活劇『拳骨』の映画化権を獲得していた[8][7]。アメリカの活劇では、『ポーリンの危難』は『ファントマ』以降最大のヒットを飛ばしていた[9]

この映画に出てくる吸血ギャング団のアイディアは、1911年から1912年にかけてパリで暗躍したアナキスト犯罪集団ボノット・ギャングから採られたものと思われる[4]。フイヤードは自分で台本も書いたが、ざっくりしたもので、俳優に設定だけ与えて細かいところは任せた。そのため整合性に欠ける部分がある。ただし、後半はしっかりした脚本を作った[10]

撮影のほとんどはパリ・ロケーションだった。戦時中のため、途中で出られなくなった俳優もいたという。予算もなく、塗膜をドアに利用したり。映画セットの家具を再使用したりした[11] 。『稲妻の主』のフェリーの爆発シーンのようなものは明らかにストック・フッテージである。制作にはスピードが求められ、撮影終了から公開まで3?4ヶ月しかなかったと推定される[12]。フイヤードは一般的な映画技法をほとんど使っていない。ほとんどのシーンは固定カメラのロングショットと、あらすじを説明するための写真や手紙のクローズアップだった。しかし、逆にそのことがこの映画に「本物らしさ」を与えた。脚本がなかったので、多くの場面は即興で撮影された[7]。ミュジドラはすべてのスタントを自分でこなした。フイヤードの次回作『ジュデックス』(1916年)と同時期の制作だった[8]

この映画では場面ごとに色合いを使い分けている。琥珀色は昼間の室内、緑は昼間の屋外、青は夜間または暗がり、ラベンダーはナイトクラブや夜明けといった薄暗いところ。

特筆すべきは400分弱という上映時間の長さで、公開当時は『The Photo-Drama of Creation』(1914年)[13]の480分に次いで史上2番目の長尺だった。
公開

『レ・ヴァンピール』は上映時間の異なる10話の連続活劇としてフランスの劇場で公開された。1話と2話は1915年11月13日に、最終話の10話は1916年6月30日の公開である。フランス以外では、メキシコで1917年5月24日に公開、アメリカでもほぼ同時期に公開された。

第一次世界大戦中だったにもかかわらず、映画は大ヒットし、パテ社の『拳骨』を大きく引き離した[7]


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