『レンミンカイネン組曲』(レンミンカイネンくみきょく、フィン語:Lemminkaissarjaan)または『四つの伝説曲』(フィン語:Nelja legendaa)作品22は、ジャン・シベリウスの交響組曲もしくは連作交響詩。フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』に基づいた作品で、1890年代を通じて推敲と改作が繰り返され、約半世紀を経た1950年代にようやく現行版に落ち着いた。なお、4曲まとめての呼称はあくまで便宜的なものであり、出版は各曲別個に行われた。
4曲まとめて演奏されることもあるが、先に出版されていた2曲、ことに「トゥオネラの白鳥」が単独で演奏されることが最も多い。「レンミンカイネンの帰郷」がこれに次いでよく演奏される。 シベリウスはベルリン留学中の1890年にリヒャルト・ワーグナーのオペラ『タンホイザー』や楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』に接して感銘を受けた。1892年に声楽を含む大規模な交響曲『クレルヴォ』を発表したのに続き、国民的叙事詩『カレワラ』に基づく作品の構想を練っていた。この頃フィンランドの文学協会主催のオペラ・コンクールが行われており、オペラ作曲への意欲が高まった。
作曲の経緯
やがてオペラ『船造り』の作曲を断念すると、その序曲を「トゥオネラの白鳥」に改作し、これを軸として、4つの交響詩からなる新たな管弦楽組曲の作曲に取り組んだ。これが結実したのが本作である。1895年から1896年にかけて「レンミンカイネンと島の乙女たち」と「トゥオネラのレンミンカイネン」、「レンミンカイネンの帰郷」の3曲が追加され、1897年に最初の全面的な改訂が行われた。
「トゥオネラの白鳥」と「レンミンカイネンの帰郷」は1900年に、出版に向けて新たに改訂されたが、このとき放置された「レンミンカイネンと島の乙女たち」と「トゥオネラのレンミンカイネン」の2曲は、作曲者の晩年である1939年になるまで改訂されず、しかも1954年になるまで出版されなかった。 1896年4月13日に作曲者自身の指揮により、ヘルシンキ・フィルハーモニー協会により初演された。その時は以下の構成が採られた。 第1曲が細部において現行版と異なっているほか、終曲の長さが現在の倍近くもあった。このため、全曲を通じて1時間弱の長さがあったらしい。 1897年11月1日にヘルシンキ・フィルハーモニー協会により初演され、やはり聴衆から熱狂的な支持が得られた半面、評論家からは消極的な評価が下された。曲順はまだ入れ替わっていないが、終曲が大幅に改作され、そのコーダも部分的に変更された。 翌1901年の出版に向けて、後半2曲が最終的に改訂された。前半2曲が手付かずのままにされたのは、シベリウス夫人アイノの意見によると、ロベルト・カヤヌスの反応が好ましくなかったためだという。
初版
レンミンカイネンと島の乙女たち(Lemminkainen ja Saaren neidot)
トゥオネラのレンミンカイネン(Lemminkainen Tuonelassa)
トゥオネラの白鳥(Tuonelan joutsen)
レンミンカイネンの帰郷(Lemminkaisen kotiinpaluu)
1897年版
1900年版
1954年版
Size:18 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef