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Lev Kuleshov
レフ・クレショフ
本名リェフ・ウラジミロヴィチ・クリェショフ
Лев Владимирович Кулешов
生年月日 (1899-01-13) 1899年1月13日
没年月日 (1970-03-29) 1970年3月29日(71歳没)
出生地 ロシア帝国(現 ロシア)
タンボフ
死没地 ソビエト連邦 ロシア・ソビエト社会主義連邦共和国(現 ロシア)
モスクワ
国籍 ソビエト連邦
職業映画監督、脚本家、美術デザイナー、編集技師、俳優、映画理論家
ジャンルサイレント映画、トーキー
活動期間1917年 - 1970年
活動内容1917年 美術監督
1918年 監督デビュー
1943年 映画製作から退く
配偶者アレクサンドラ・ホフロワ
主な作品
『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』
受賞
1964年 博物学博士号
1969年 ソ連人民芸術家
赤旗労働英雄勲章
レフ・ウラジミロヴィチ・クレショフ(ロシア語 Лев Владимирович Кулешов, 1899年1月13日 - 1970年3月29日)は、ソビエト連邦の映画監督、脚本家、美術デザイナー、編集技師、俳優、映画理論家である。クレショフ効果で知られる。 1899年(明治32年)1月13日、ロシア帝国(現在のロシア)のタンボフに生まれる。 1917年(大正6年)、18歳のころ、エフゲーニー・バウエルを師とし、美術監督として映画に関わる。翌年1918年(大正7年)、初めて映画監督として映画を演出する。1924年(大正13年)に監督した『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』は、世界中で公開された。 1943年(昭和18年)、ソ連軍のための映画を監督したのを最後に、映画製作から退く。 1964年(昭和39年)、博物学博士号を授与される。1966年(昭和41年)、ヴェネツィア国際映画祭で審査員を務めた。1969年(昭和44年)、ソ連人民芸術家の称号を受ける。ほかにもレーニン勲章、赤旗労働英雄勲章
目次
1 人物・来歴
2 おもなフィルモグラフィ
3 註
4 外部リンク
人物・来歴
1970年(昭和45年)3月29日、ソビエト連邦(現在のロシア)の首都モスクワで死去した。満71歳没。
おもなフィルモグラフィ
Жизнь трех Дней : 監督アレクサンドル・ゴロモフ、1917年 - 美術監督
Тень любви : 監督アレクサンドル・ゴロモフ、1917年 - 美術監督
Король Парижа : 監督エフゲーニー・バウエル / オルガ・ラフマノヴァ、1917年 - 美術監督
Черный Любовь : 監督ウラジミール・ストリジェフスキー、1917年 - 美術監督・出演
『幸福を求めて』 За счастьем : 監督エフゲーニー・バウエル、1917年 -美術デザイナー・出演(画家エンリコ役)
Сумерки : 監督アンドレイ・グロモフ、1917年 -美術デザイナー
『警鐘』 Набат : 監督エフゲーニー・バウエル、1917年 - 美術監督
Вдова : 監督フョードル・コミサルジェフスキー、1918年 - 美術監督
Sliakot bulvarnaia : 監督不詳、1918年 - 美術監督
Проект инженера : 1918年 - 監督・美術監督・編集
Мисс Мери : 監督ボリス・チャイコフスキー、1918年 - 美術監督
Песни любви : 1918年 - 監督・出演
На красном фронте : 1920年 - 監督・脚本・出演(ポーランド農民役)
『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』 Необычайные приключения мистера Веста в стране Большевиков : 1924年 - 監督
Луч смерти : 1925年 - 監督・出演