ソビエト連邦の政治家レフ・カーメネフ
Лев Каменев
生年月日 (1883-07-18) 1883年7月18日
出生地 ロシア帝国、モスクワ
没年月日1936年8月25日(1936-08-25)(53歳)
死没地 ソビエト連邦
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国、モスクワ
出身校モスクワ大学(放校)
所属政党(ロシア社会民主労働党→)
(ボリシェヴィキ→)
ソビエト連邦共産党
配偶者オリガ・カーメネワ
ソビエト連邦
人民委員会議副議長
在任期間1923年6月6日 - 1926年1月16日
人民委員会議議長ウラジーミル・レーニン
アレクセイ・ルイコフ
ロシア共産党(ボリシェヴィキ)
初代中央委員会レーニン研究所所長
在任期間1923年3月31日 - 1926年
党最高指導者
→中央委員会書記長ウラジーミル・レーニン
ヨシフ・スターリン
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国
中央執行委員会議長
レフ・ボリソヴィチ・カーメネフ(ロシア語: Лев Бори?сович Ка?менев、ラテン文字表記の例:Lev Borisovich Kamenev、1883年7月6日(グレゴリオ暦7月18日) - 1936年8月25日)は、ロシアの革命家、ソビエト連邦の政治家。ユダヤ系ロシア人。ソビエト政権の成立を宣言した第2回全露ソビエト大会議長、全露中央執行委員会議長、共産党政治局員、組織局員を歴任した。雄弁と宣伝能力、交渉とソビエトの議事能力を評価された知識人であったが、ヨシフ・スターリンの陰謀によって失脚し、粛清された。本姓はローゼンフェルド(Ро?зенфельд、Rosenfeld)。 ロシア帝国時代のモスクワにて鉄道技師の家庭に生まれる[1]。グルジアのチフリス(現在のトビリシ)の中学校に通うが、この時にマルクス主義のサークルと関係を持つようになる。チフリス(現在のトビリシ)の学校に通い、モスクワ大学に入学する。大学在学中の1901年、18歳の時にロシア社会民主労働党に入党し、ウラジーミル・レーニンを支持する[2]。翌年、学生運動でデモを行い、逮捕、退学処分となる。 以後、カーメネフは地下活動に入り、パリとジュネーヴで亡命生活を送る。1903年、レフ・トロツキーの妹オリガ・ブロンシテインと結婚、2人の子供を授かる。オリガとの結婚生活は1920年代末まで続き、その後、カーメネフは再婚する。 1903年、第2回社会民主労働党大会の後、党が分裂すると、レーニンを領袖とするボリシェヴィキに所属する。帰国し、プロの革命家としてサンクトペテルブルク、モスクワ、トビリシにて活動するが、当局によってチフリスに追放される。1905年の秋にサンクトペテルブルク工業大学に入学するが、1908年に逮捕され、亡命する。 1914年、党機関誌「プラウダ」の編集と、第4回ドゥーマ(国会)ボリシェヴィキ議員団を指導する目的で帰国する。サンクトペテルブルクに党中央委員会全権代表として着任し、ロシア・ビューローの責任者になる。第一次世界大戦が勃発すると、敗戦を支持したため、逮捕された。裁判で東シベリアのエニセイ県に流刑となる。流刑先でスターリンと出会い、親しい関係になる。 1917年の二月革命後にペトログラードに戻り、再び「プラウダ」の編集を指導する。この時点でカーメネフは、臨時政府を条件付きで支持する代わりに、政府に対する関与を強めようとする立場であった。このため、レーニンとは若干、対立するが、レーニンの支持によって党中央委員に選出されている。また、上記のような考えから、同年10月の武装蜂起に対しては、グリゴリー・ジノヴィエフとともに反対したが、ペトログラードの武装蜂起には参加した。武装蜂起後の第2回全露ソビエト大会で議長を務め、大会をボリシェビキに有利に進行し、ソビエト国家の樹立を宣言した。11月にはジノヴィエフと同調して広範な社会主義的諸政党との連立による全社会主義政府樹立を支持し、中央委員を辞任する。カーメネフは党代表として全社会主義政府を創設するため、他の政党と交渉を持ったが、レーニンの命令でこれを断念した。 1918年1月、共産党を紹介するためと称して西ヨーロッパに非合法で出国する。しかし、イギリス政府に拘束され、8月に帰国する。帰国後はモスクワ・ソビエト議長に選出される。内戦時には、南部で赤軍の政治指導を担当。さらに西側との平和状態を作るため、代表団長としてロンドンに渡り交渉をする。この交渉は、ポーランドに侵攻した赤軍が敗北したのを機に追放され、中断された。1923年レーニン研究所長となり、レーニンの著作と論文の編集に当たる。 レーニンの晩年、書記局内に書記長職を新設することと、書記長にスターリンが就くことを提案した。これは、カーメネフがスターリン、ジノヴィエフと三人組(トロイカ)を組み、反トロツキー共闘を成功させたが、めぐりめぐって、カーメネフ自身を破滅に追いやることとなる。ジノヴィエフ(左)とカーメネフ
生涯