レピッシュ
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この項目では、日本のバンドについて説明しています。日本の漫画作品については「レピッシュ!」をご覧ください。

レピッシュ
別名LA-PPISCH
出身地 日本
ジャンルロック
スカ
ニュー・ウェイヴ
オルタナティヴ・ロック
ポップ・ロック
ファンク
ミクスチャー・ロック
活動期間1983年 - 2005年
2007年 -
レーベルビクター音楽産業
- ビクターインビテーション
1987年 - 1991年
- SPEEDSTAR RECORDS
1992年 - 1997年
ユニバーサル ミュージック
1998年 - 2002年
BELO RECORDS
2003年 - )
公式サイト ⇒LA-PPISCH OFFICIAL WEB SITE

メンバーMAGUMI (ボーカルトランペット
杉本恭一 (ギター、ボーカル)
tatsu (ベース

旧メンバー雪好 (ドラムス
(1983年 - 2001年)
上田現キーボードサックス、ボーカル)
(1984年 - 2002年)
山田剛久 (ベース
(1983年 - 1985年)

レピッシュ(LA-PPISCH、1983年 - )は、日本の音楽グループロックスカを中心に活動している。LA-PPISCHとは、ドイツ語で「バカげた」「子供じみた」等の意味。
略歴

1987年、メジャーデビュー。旧所属事務所はキティやDB MUSIC、契約レコード会社はビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメントビクターインビテーションSPEEDSTAR RECORDS)、ユニバーサル ミュージック(移籍当時はMCAビクター)、BELO RECORDSなど。2005年に活動休止。デビュー20周年をきっかけに2007年から活動再開。その後、上田現の死去により、没後イベントやフェスなどのイベントで不定期活動中。

明治大学軽音楽部(POP研)に籍を置いていた上田現と、明治学院大学の学生だった雪好が組んでいたテクノバンド「エレベーター」と、演技系の専門学校に通っていたMAGUMI、デザインの専門学校に通っていた杉本が組んでいたパンクバンド「スウィンドル」が合体して結成された。ちなみに「スウィンドル」と「エレベーター」の接点は、この2つのバンドを兼任していたベーシスト山田剛久が、明治大の軽音楽部(POP研)に所属しており、2つのバンド共に、明治大和泉校舎・新学館地下室を練習の場所に使っていたことによる。また「エレベーター」には雪好の実兄であるガンダーラ金子(元スーパースランプ聖飢魔II)も参加していた。アマチュア時代、レピッシュ名義での最初期ライヴ時のメンバーは、リードヴォーカル:松岡章、ギター:杉本狂市、サイドヴォーカル/パーカッション/トランペット/ダンス・パフォーマンス:MAGUMI、ベース:山田剛久、ドラム:奥井宏という顔ぶれだったが、その後間もなく奥井が脱退し雪好に交代。この時期、新宿ACB、目黒鹿鳴館でライヴ活動を展開するも、その後、松岡が脱退、MAGUMIがトランペット/パーカッションも兼ねつつリード・ヴォーカルに繰り上がり、方向性を巡る試行錯誤を経て、1984年秋にキーボード:上田現が加入した。この時期のメンバーを整理すると、リード・ヴォーカル/トランペット/パーカッション:MAGUMI、ギター:杉本狂市(恭一)、キーボード:上田現、ベース:山田剛久、ドラム:雪好。このメンバーで1985年初頭から積極的なライヴ活動を開始、出演した主なハコは、新宿ロフト渋谷屋根裏、新宿NYアンチノック、下北沢LAアンチノック(現在の屋根裏。LAアンチノックのこけら落としLIVEはこの時期のレピッシュによるものだった)、下北沢T5、渋谷エッグマン等。この時期、当時の新宿ロフトにおける「昼の部」の動員記録を樹立する等して話題となり、また夏にはヤマハが主催したコンテスト『イーストウエスト』に出場、熾烈な東京都内の地区予選を勝ち抜いて中野サンプラザでの決勝にも出場した。しかしこのコンテストを最後にベースの山田が脱退、その穴を埋めるべく明大軽音部と掛け持ちでジャズ研にも所属していたTATSUが誘われ、メジャーデビュー時のメンバーが揃った。1987年ビクター音楽産業からメジャーデビュー。
メンバー

MAGUMI(まぐみ、
1963年9月24日 - ) - ボーカルトランペット熊本県出身。本名は「福田耕一」。血液型A型。芸名の由来は、「小2の頃、同じクラスだった女の子に『明日からマグミね』と言われた」 と書籍「バンドライフ」内で本人が語っており、由来については不明。高校卒業後、「とにかく早く親から独立したかった」と、新聞奨学生制度を使って演技系の専門学校に進学した。「合宿みたいで楽しかった」と語る反面、「人には薦められない」とも言っている。同時期に恭一のバンド「スゥインドル」の舞台に上がって踊ったりラッパを吹いたりしていた。その後、正式にトランペット・コーラスとしてスウィンドルに加入。BUCK-TICK櫻井敦司とはメジャーデビューした日が同じで、当時、所属していたレコード会社も同じ(ビクター)ということもあり、非常に仲がいい。(MAGUMI曰く、櫻井とは飲み屋でパンツを脱ぎあったり、都内某所のカラオケバーで盛り上がったり、自宅で麻雀したりする仲らしい)酔うと「やたら泣く→生い立ちについて延々語る」という学生時代(恭一・現の時事放談参照)から、デビュー時には「酔うと露出狂」になった。


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