レヒ
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この項目では、武装組織について説明しています。旧約聖書の故事については「レヒ (旧約聖書)」をご覧ください。
レヒのエンブレム

レヒ(英語:Lehi、ヘブライ語:??"?) は、イギリス統治領時代パレスチナユダヤ人地下武装組織[1]。正式名称はイスラエル解放戦士団(Fighters for the Freedom of Israel、????? ???? ????? / ロハメイ・ヘルート・イスラエル)。ヘブライ語で「あご骨」という意味で、旧約聖書に登場する、士師サムソンがあご骨でペリシテ人を撃ち殺した故事にちなんだ名称。
概要現在もエルサレム郊外に残る壁の落書き「! ???? ???????????? ??????(イギリスは植民地主義だ!)」

パレスチナからイギリスの支配と移民の制限を廃し、ユダヤ人国家を建設することを目標とした組織であり、イギリス当局からは創設者の名前を取って『シュテルン・ギャング』と呼ばれる[2]。初期はイスラエル国家軍事機関と呼ばれていたが、指導者アブラハム・シュテルン(ヘブライ: ????? ????)の死後、レヒと改名している[3]

レヒはイギリス当局からテロリスト集団として認識されていた[4]。レヒは1944年のカイロにおけるウォルター・モイン(駐カイロ英公使)の暗殺をはじめ、パレスチナのアラブ人イギリス人を狙った攻撃を行っている。1948年7月に国連調停委員のフォルケ・ベルナドッテスウェーデン赤十字総裁)が暗殺されたことで国際連合安全保障理事会は暗殺を行ったレヒのメンバーを「テロリストの犯罪グループ」と呼び[5]、事件の3日後、イスラエル新政府は反テロ法を制定し、機関は禁止された[6]。ベルナドッテに次いで国連調停委員となったラルフ・バンチもレヒを非難した[7]

レヒのメンバーは1949年2月14日にイスラエル政府により大赦を受け、1980年にはレヒの元メンバーのみ着けることを許された『レヒリボン』の勲章が作られ、グループは栄誉を受けている[8]
設立と創設者アヴラハム・シュテルン

創設者アブラハム・シュテルンはゼエヴ・ジャボチンスキー(英: Ze'ev Jabotinsky、ヘブライ: ??? ?'????????)により創始された修正シオニズム運動を支持し、イルグン(ヘブライ: ?????? ????? ?????? ???? ????? / ハ-イルグン・ハ-ツヴァイ・ハ-レウミ・ベ-エレツ・イスラエル、設立者はジャボチンスキー)に参加していた。

1940年6月、第二次世界大戦の勃発によりイルグンがイギリスに対する地下軍事行動を止めたことで彼はイルグンを去り、自ら発起者となってイスラエル国家軍事機関(Irgun Tsvai Leumi B'Yisrael)と呼ばれるグループを設立した。これが後のレヒとなる。

イギリスは戦争においてナチス・ドイツと敵対していたが、シュテルンはパレスチナに暮らすユダヤ人はイギリスに対して支援するよりも、戦いを仕掛けるべきだと考えており、また軍事的手段に頼ることでより効率的に目標を成し遂げることができると信じていた。ゼエヴ・ジャボチンスキー

彼は1939年のマクドナルド白書(英: White Paper of 1939、イギリス国内で決議された、ユダヤ人のパレスチナへの移住や土地の購入を制限する内容の声明)に対しても強く異議を唱えた。彼はパレスチナの最も重要な役割はヨーロッパから逃げ延びて難民となったユダヤ人達の受け皿となることだと考えていた。しかし、彼の旧友ダヴィド・ラズィエル(英: en:David RazielDavid Raziel、ヘブライ: ??? ?????)はナチス・ドイツと戦うためにイシューヴ(ユダヤ共同体、この時代のユダヤ人中央暫定政府のこともいう)はイギリス当局を支援すべきとしてシュテルンと袂を分けることになる。シュテルンの考えは国家の建設を妨げる『外国人居留者』のために死ぬ必要はないということだった。しかし、イギリス軍に入隊したラズィエルは1941年、イラクでの任務中、命を落としてしまう。

シュテルンはイギリスを『ユダヤ民族の敵』、ナチスを『ユダヤ嫌悪者』として別格のものと見るようになっていた。シュテルンは前者は敗北すべきであり、後者は利用すべきと考えた。そしてイスラエル新国家建国の際に援助を得ることも視野に入れ、第二次世界大戦での協力を条件にユダヤ人難民を解放する交渉をナチス当局に持ちかけた。
目標と手段レヒの女性戦闘員(1948年)

レヒは3つの主な目標を定めた。
パレスチナの解放のためイギリス当局との戦いに参加する意思のある者を集める。

唯一のユダヤの軍事機関として世界に認知される。

聖書に基づくイスラエルの地を軍隊の力で奪い返す[9]

グループはその黎明期には、その目標がイギリス当局をエレツ・イスラエル(旧約聖書に基づくユダヤの民が神に約束されたとする地、パレスチナのユダヤ人側の呼び名)の地から追放するために国際的な協力を得て、その見返りに軍事力を提供する事により達成されると考えており、そのために「軍事行動を通し、足枷から抜け出す意思を示威する」ための公然かつ、組織化された軍隊を作ることが求められた[10]

レヒの地下新聞『ヘ・ハジット(He Khazit / 戦線)』の中の「テロ(Terror)」という題名の記事で以下のように述べられている。ユダヤの規範においても、その伝統においても、戦いの手段としてのテロリズムを不適格とされることは無い。我々の国での戦争が続く限り、一切の良心の呵責はない。我々はトーラーの「汝彼らを最後の一人まで滅ぼさん」の言葉に従うのみでその律典は世界のどの法律をも凌ぐ。しかし、まず第一にテロリズムは我々にとって現在の状況に導かれた政治的対立の側面であり、その最適な対決方法でもある。それは占領者との戦いを宣言することで世界中に、そして遠く離れた哀れな同胞達に、はっきりとその意思を伝えることが出来るからである。我々はどう目を凝らしても背教者である敵に対して躊躇は惜しまない[11]

記事にはテロの目標が書かれていた。
自ら記した法律と、高く積もれた文書に隠れた本当のテロリストに対する示威行動とする。

標的は民衆ではなく、代表者に対してである。故に、効率的な手段でもある。

同時にイシューヴの危機感を喚起させることが出来るならなお良い[11]

シュテルンの暗殺後、レヒのリーダーの一人になった、後のイスラエル首相イツハク・シャミル(ヘブライ: ???? ????)は、レヒの行動の正当性を主張した上でマーティン(メンバーが処刑された報復として、イルグンにより暗殺されたイギリス軍曹の二人のうち一人)を殺害したことをテロリズムと言う人がいます。しかし、軍の陣営を狙うのはゲリラ戦であり、そして、一般人を爆撃することは職務的な戦争といわれます。しかし、私はそれは道徳的観点から見て同質であると思います。数えるほどの人間を殺すより、市民に原爆を落とすことの方がいいことでしょうか?私はそうは感じません。しかし、誰もトルーマン大統領をテロリストだとは言いません。我々が個々に狙っていた、ウィルキン、マーティン、マクミカエル(イギリス植民地相、レヒに襲撃され妻とともに一命を取り留めた)やその他全ての人物は、自ずから我々との戦いに勝つことを望んでいたものたちです。ですから、目標を定めたのは効率面からも、道徳面からも、より理に適うものでした。いずれにしても、我々は小規模だったので、その作戦しかなかったのです。我々にとって、軍の褒章は問題ではなく、目標を成し遂げなければならないという意思の問題でした。我々は政治的に結果を出すことを目指しました。聖書の中にはギデオンサムソンをはじめ、多くの手本があり、グループの考えに影響を及ぼしていました。また他に、ロシアアイルランド革命家ガリバルディチトーなど、彼らの自由のために戦った人物達の逸話からも多くを学びました[12]

と語った。
復興の18原則

アヴラハム・シュテルンは『復興の18原則』と呼ばれる組織の思想を掲げた[13]
民族 - ユダヤ人は約束された民であり、一神教の創始者、預言の導きの体現者でもある。また、人類の文化の規範となる担い手であり、価値ある遺産を守る者達である。ユダヤ人は自己犠牲と苦しみの精神を身につけている。そして、その展望と、信仰に基づく生き残り精神は不滅である。

祖国 - イスラエルの地(パレスチナ全土)における祖国は、聖書の「あなたの子孫にエジプト川(ナイル川)からユーフラテス川までの土地を与える。(創世記15章18節)」に厳密に書かれてある境界の現在の土地とし、民族の全てが安全に住める地とする。

国家と土地 - イスラエルはかつて剣で土地を征服し、強大な国を作り上げた。それを再現するのみである。すなわち、イスラエルは唯一のその土地の所有者であり、それに時効が来ることは決してないのである。


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