レニングラード防衛記章
ソビエト連邦による賞
種別記章
受章資格ソ連市民
受章条件レニングラードの防衛
対象戦役レニングラード包囲戦
状態廃止
歴史・統計
創設1942年12月22日
総授与数1,470,000
序列
上位溺者救助記章
ウィキソースにソビエト連邦最高会議幹部会1942年12月12日付命令「レニングラード、オデッサ、セヴァストポリ、スターリングラード防衛記章承認に関して」の原文があります。
1944年に発行された切手 レニングラード防衛記章を受章する赤軍兵士(1944年6月1日) 2014年に発売された、「大祖国戦争の防衛記章切手」シリーズに登場したレニングラード防衛記章切手
レニングラード防衛記章(ロシア語: Медаль ≪За оборону Ленинграда≫)は、ソビエト連邦の記章。大祖国戦争中のレニングラード包囲戦において、レニングラードの防衛に尽力した一般市民や軍人に授与された。1942年12月22日に制定されたレニングラード防衛記章は、同時に制定されたオデッサ防衛記章(ロシア語版)・セヴァストポリ防衛記章(ロシア語版)・スターリングラード防衛記章と合わせてソ連初の記章である。目次 1942年の晩秋、国防人民委員部はレニングラード、スターリングラード、セヴァストポリ、オデッサでの防衛戦を扱う記章を作成するよう要請した。11月24日には記章作成、提供、試作品や記章の説明に関する命令が続いて下された。加えて、記章はこれらの諸都市防衛に参戦したすべての人物(軍民問わず)に授与するよう決定された[1]。 レニングラード防衛記章は制定直後から授与が始まり、1945年までに約60万人が記章を受章している。受章者の情報は1945年にまとめられ、レニングラード包囲と防衛州立記念博物館
1 歴史
2 受章条件
3 意匠
3.1 複数のデザイン案
4 その他
5 脚注
6 参考文献
7 外部リンク
歴史
1985年には受章者が約147万人に達した。なお、そのうち1万5000人は包囲時まだ小児あるいは少年だった若年層である。 レニングラード防衛記章は、レニングラードで防衛戦を戦ったすべての軍人・市民に贈られた。 なお、レニングラード防衛記章を受けた者には、1957年に制定されたレニングラード250周年記念記章 レニングラード防衛記章は真鍮製であり、直径32mmの正円形をしている。表面には、旧海軍省を背景に赤軍兵士、赤色海軍兵士、労働者が銃剣を構える様子が描かれている。メダル上部には、天頂に五芒星を配置し、円周に沿って≪ЗА ОБОРОНУ ЛЕНИНГРАДА≫(レニングラード防衛のために)の文言が刻まれている。メダルには凸状の縁取りがついている。裏面には鎌と槌があり、その下に≪ЗА НАШУ СОВЕТСКУЮ РОДИНУ≫(我らが祖国ソビエトのために)と刻まれている。 メダルは五角形の台座に繋がっており、台座にはモアレの入った黄色のリボンが巻かれている。リボンの真ん中には2mmの緑の線が走る。リボンの幅は24mmである。 佩用する際は左胸に着ける。オデッサ防衛記章がある場合はその右に配置する[3]。 レニングラード防衛記章はニコライ・モスカリョーフ
受章条件
実際にレニングラード防衛に参戦した赤軍、赤色海軍、NKVDの部隊や兵士
労働者や民間人、企業、民間組織で、レニングラード防衛のために戦闘に加わった者、無私の精神で街の防衛に努めた者、敵機の襲撃による火災の鎮圧に努めた者、街の防衛のため要塞建設に加わった者、物流・運輸・通信・文化・消費者サービスの維持に努めた者、病人・負傷者の看護をした者、子育ての世話をした者、街の防衛のために様々な措置を講じた者
意匠
複数のデザイン案
ボリス・バルヒン(ロシア語版)は旧海軍省を背景に、フィンリャンツキー駅前のレーニン広場(ロシア語版)に建つレーニン像を描いており、像の右側には対空砲が置かれていた。
アーティスト集団「ボロビン」は3種類の記章案を出した。彼らのデザインに共通するのは、レニングラードのシンボルとレニングラード防衛の碑文≪За оборону Ленинграда≫が必ず刻まれている点である。