レドモンド
City
レドモンド(Redmond)はアメリカ合衆国ワシントン州キング郡内の都市である。イーストサイド(英語版)と知られるシアトル郊外地域の東側に位置している。
レドモンドはマイクロソフトとNintendo of Americaの本拠地として有名である。特にマイクロソフトの影響もあり、レドモンドには比較的裕福な人が多い。一人当たりの国民所得でレドモンドはワシントン州の522の地域で第20位にランクインしている。
また年に1度公道を使用して開催される自転車レースや、州内唯一の自転車競技場を有することからノースイースト地方の自転車の中心地として知られている。 少なくとも6000年前にはネイティブアメリカンがレドモンドに居住していたとされており[5]、1870年代に最初のヨーロッパからの開拓者が到来した。1870年の9月9日にLuke McRedmondがサマミッシュの沼地に隣接する土地に対してホームステッド法の適応を申請し、その翌年Warren Perrigoはその隣接地を占領した。川には非常に多くの鮭が生息していたことから、開拓地は当初Salmonbergと名づけられていた。更なる開拓者の到来とともに1881年には最初の郵便局が設置され、同時にMelroseへとその名称が変更された。Melroseという名前はWarren Perrigoにより運営されていたMelrose Houseという宿泊施設が成功したことによるものである。これはLuke McRedmondが権力を握る妨げとなっていたが彼が郵便局長となった後、1883年についに彼はその名称をRedmondへと変更するための申請を行うことに成功した。[6] レドモンドの豊富な森林や魚は伐採者や漁師に雇用機会を提供し、そのような労働者による需要が商人を呼び込んだ。1889年にSeattle Lake Shore & Eastern鉄道が町の中心部に駅を設置したことにより、林業は著しい発展を遂げた。レドモンドの土地区画図は1891年の3月11日にはじめて規定され、これは現在のダウンタウンの領域を完全に含んだものであった。人口が300人に達した後、1912年の12月31日にレドモンドは独立自治体となった[6]。 レドモンドの経済は1920年の転換期を迎え低迷を迎えることとなった。禁酒法により酒場は閉店を余儀なくされ、市税の収入の大部分を失う要因となった。また過度の森林伐採が原因となり伐採者が徐々に減少していったことにともない、木材工場の閉鎖が相次いだ。しかしながら幸運なことに伐採された土地は農業に適したものであったため、農業がレドモンドの主要な産業となったことで、世界大恐慌の間も居住者は職を維持することが可能であった。 レドモンドは第二次世界大戦後に本格的に発展しはじめ、市町村合併により1951年から1967年にかけてその面積は約30倍に成長した。レイクワシントンを横断するエバーグリーン浮動橋
目次
1 歴史
2 地理
3 人口動勢
4 経済
4.1 産業
4.2 主な企業
4.2.1 レドモンドに本社を置く主な企業
4.2.2 レドモンドに支店を置く主な日系企業
4.3 商業
4.3.1 主な商業施設
4.3.1.1 レドモンドダウンタウン
4.3.1.2 オーヴァーレイク
5 交通
5.1 バス
5.2 道路
6 公園及びレクリエーション施設
7 教育
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 外部リンク
歴史
多くのテクノロジー関連企業がレドモンドに本社を置いたことによって、その人口増加による需要が更なる商業施設の増加を促し、1990年代に最もそれは顕著であった。市内の主要な商業施設であるレドモンドタウンセンターは最盛期であった1997年に、ゴルフ場だった場所を転用して建設された[7]。2000年代に入っても住宅地を中心に開発は続いており、ダウンタウンには大規模なアパートが林立している(レドモンドはビル建設に対して景観保護のため厳しい高さ制限を設けているため、ベルビューダウンタウンのような高層ビルは存在しない)[8]。
近年では急速な発展によりスプロール現象が発生し交通量が増大したことが、都市の成長を妨げる要因となっている。通勤ラッシュ時にはSR-520のレドモンド側の起点となるAvondale Roadとシアトルダウンタウン間のたった29 kmの距離を移動するのに約2時間(平常時は約20分)を要する。これらの問題を緩和するためにSR-520やエバーグリーン浮動橋(英語版)の拡張、およびSound Transit()によるLink Light Rail(英語版)のレドモンドへの延伸が進められている[9]。 レドモンドは西にカークランド、北西にベルビュー、北東にサマミッシュと隣接している。
地理