レティーフ・グーセン Retief Goosen
基本情報
名前レティーフ・グーセン
生年月日 (1969-02-03) 1969年2月3日(55歳)
身長180 cm (5 ft 11 in)
体重83 kg (183 lb)
国籍 南アフリカ共和国
出身地ピーターズブルグ
経歴
プロ転向1990年
成績
優勝回数欧州14
米国7
アフリカ9
アジア4
メジャー:全米2勝(2001・04)
世界ランク最高位3位
賞金ランク最高位1位(欧州2001年・02年)
世界ゴルフ殿堂殿堂表彰者
選出年2019年
選出部門男性競技者
2018年12月12日現在
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レティーフ・グーセン(Retief Goosen, 1969年2月3日 - )は、南アフリカ・リンポポ州ポロクワネ(旧名ピーターズブルグ)出身のプロゴルファー。 2001年と2004年の2度、全米オープンで優勝した実力者である。これまでにヨーロッパツアーで14勝、アメリカPGAツアーで7勝を挙げる(メジャー大会である全米オープンの優勝は、アメリカ・ヨーロッパの両方のツアーで優勝回数をカウントされる)。同じ南アフリカ出身のアーニー・エルスとは若い頃からのライバルであり、親友でもある。世界ランキング自己最高位は3位。 グーセンはアマチュア選手時代に、練習中に雷に打たれて大怪我を負ったことがある。1990年にプロ入りした後も様々な不運に遭い、1994年と1997年の全米オープンで優勝したエルスに比べて、国際レベルに開花するのが遅かった。しかし2001年6月の全米オープンで初日からトップに立ち、その後も好調なラウンドを続ける。最終日の18番ホールで50センチの短いパーパットを外し、マーク・ブルックス(アメリカ)とのプレーオフになったが、それを制してメジャー大会初優勝を飾った(全米オープンのプレーオフは、最終ラウンドの終了後もう1日[18ホール]ラウンドするシステムになっている)。この優勝を機に、それまでヨーロッパツアーを中心に活躍してきたグーセンは、米国ツアーに戦いの場を広げることになった。 2001年11月、日本の太平洋ゴルフクラブ・御殿場コースで開催された世界ゴルフ選手権の「EMCワールドカップ」に南アフリカ代表として出場、アーニー・エルスとコンビを組んで優勝した。この時はアメリカを含む4チームによるプレーオフを制している。2001年と2002年の2年連続で、グーセンはヨーロッパツアーの賞金王(賞金ランキング1位)になった。 2004年に全米オープンで3年ぶり2度目の優勝を果たした時は、同年のマスターズ優勝者フィル・ミケルソンとの一騎討ちを制している。2005年の同大会で、前年優勝者のグーセンは3日目を終えて単独トップに立ち、大会連覇を目前にしていたが、最終日に81(11オーバー)をたたいて失速した。2009年3月の「トランジション選手権」において、アメリカツアーで4年ぶりの7勝目を獲得した。 日本のトーナメントに招待選手として出場したこともあり、初来日だった1997年の「ダンロップ・フェニックス選手権」では7位に入っている。2001年のワールドカップ以来の来日となった2004年の「サントリーオープンゴルフトーナメント」でも7位の成績を残した。 Legend No.年月日トーナメントスコア打差2位(タイ)
経歴
プロ優勝 (43)
PGAツアー (7)
メジャー大会 (2)
Other PGA Tour (5)
118 Jun 2001全米オープン?4 (66-70-69-71=279)Playoff マーク・ブルックス
27 Apr 2002ベルサウス・クラシック
Legend
メジャー大会 (2)
Other European Tour (12)
No.年月日トーナメントスコア打差2位(タイ)
116 Jun 1996Slaley Hall Northumberland Challenge?11 (66-69-70-72=277)2 strokes ロス・ドラモンド
1アジアンツアーとの共催 No.年月日トーナメントスコア打差2位(タイ)
サンシャインツアー (9)
125 Apr 1991Iscor Newcastle Classic?14 (69-63-70=202)1 stroke Derek James