レッド_(山本直樹)
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レッド
漫画:レッド
作者
山本直樹
出版社講談社
掲載誌イブニング
レーベルイブニングKCDX
発表号2006年21号 - 2013年23号
巻数全8巻
話数86話
漫画:レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ
作者山本直樹
出版社講談社
掲載誌イブニング
レーベルイブニングKCDX
発表号2014年5号 - 2016年21号
巻数全4巻
漫画:レッド最終章 あさま山荘の10日間
作者山本直樹
出版社講談社
掲載誌イブニング
レーベルイブニングKCDX
発表号2017年7号 - 2018年11号
巻数全1巻
テンプレート - ノート
プロジェクト漫画
ポータル漫画

『レッド』は、山本直樹による日本漫画1969年から1972年の日本を舞台に、革命を起こすことを目指した若者達の青春群像劇。連合赤軍およびその母体となった2つの新左翼団体をモデルにしている。

2006年21号より講談社の漫画雑誌『イブニング』にて連載を開始、2013年23号の第86話をもって一旦連載を中断する。2014年5号より『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』として新章をスタートさせ、2016年21号まで連載した。最終章『レッド最終章 あさま山荘の10日間』は2017年7号から2018年11号まで連載した。単行本は『レッド』が全8巻、『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』が全4巻、『レッド最終章 あさま山荘の10日間』が全1巻。

2010年、第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。

2022年11月29日より、4か月連続で『レッド』全8巻、『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』全4巻、『レッド最終章 あさま山荘の10日間』全1巻の計13巻分を全4巻にまとめて収録した新装版『定本 レッド 1969 - 1972』を太田出版より刊行。
概要

1960年代末から1970年代初頭にかけての、日本の新左翼運動の中で起こった事件をテーマとした作品である。何人かの主要人物を軸に、時間的経過に沿って事件の進行や当時の時代背景を淡々と叙述していく伝記的な手法がとられている。また、登場人物のその後の運命を示す文章が頻繁に登場したり、人物が亡くなっていく順に1から15までの番号が付されるなど、あらかじめ物語の先には悲劇的結末が待ち受けることが強調されている。登場人物の名前は、姓については原則として山岳名にちなんでいる。名についてはモデルとなる人物の名と同じ読みで漢字を変えている場合が多い[注 1]

雑誌上でのタイトルロゴには、大きな「レッド」の文字に重ねて、小さく「Red」の英字表記と、舞台となった時代を表す「1969?1972」の文字があるが、単行本第1巻(初版)ではタイトルロゴから「1969?1972」の文字は消えている(※第1巻2刷以降、および第2巻は表記あり)。

本作はフィクションであるとの注意書きが連載・単行本に書かれているが、山本は「基本的にはあったことほぼそのままを描いてこうとは思っています」と述べており[1]、本作の内容は連合赤軍事件関係者の証言をかなり忠実に再現したものとなっている。
あらすじ

1969年、東京大学安田講堂の陥落を境に全共闘運動は勢いを失いつつあった。同じ年の夏の終わり、青森の■■大学ではバリ封(バリケード封鎖(ストライキ))が盛り上がりに欠けるまま機動隊突入、立てこもり学生の退却という結末となる。ほぼ同じころ、外相の訪ソ訪米阻止のため「革命者連盟」の若者たちは羽田空港に侵入、「反米闘争路線万歳」「毛沢東思想万歳」を叫びながらジャンボジェット機に火炎瓶を投げつけた。

革命の退潮に抗うように、ダイナマイトによる非合法のゲリラ闘争へ傾斜していく革命者連盟のメンバー。しかしリーダーである筑波を始めとして多数のメンバーが逮捕されたことで組織崩壊の危機に直面することになった。彼らは筑波を奪還するために、交番を襲撃して拳銃を奪取する計画を立てる。この作戦を契機に革命者連盟はもう一つの急進的グループ「赤色軍」との同盟関係をうち立て、いっそうの武装闘争路線へと突き進んで行く。

そして月日は流れ1972年1月、赤色軍と革命者連盟の幹部は榛名ベースにて「赤色連盟」の結成を宣言。それに伴い、ベースに集結した二十数名の同志たちに革命戦士となるため、それまでの言動に対する「総括」を要求する。しかしそこで展開されたのは、「総括の援助」と称した苛烈極まる暴力であった。12月31日未明、一人の同志が榛名ベースの寒さと同志からの暴力によって命を落としたが、彼らはそれを総括できなかったための「敗北死」と受け取るのであった。果たして彼らは、どこへ向かうのであろうか。

1972年2月、赤色連盟のメンバー残り9名は、警察の包囲網を突破するべく決死の山越えを決行する。岩木の先導により山越えは成功し、包囲網を突破したと安堵するのも、地図に載っていない謎の街に迷い込む。そこは当時開発間もない軽井沢レイクタウンだった。岩木ら4名は鉄道を使って小諸への脱出を試みたが、軽井沢駅で遂に警察に逮捕された。その一報を聞いた残る谷川ら5名は迫る警察隊を銃撃してなおも逃げ続けた末にたどり着いたのはXX楽器の保養所、あさま山荘だった。山荘の管理人夫人を人質にとった彼らはここで壮絶な籠城戦を繰り広げることとなる。
登場人物.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}作中の重要な要素である「山岳ベース」を意識してか、あるいはあさま山荘事件の犯人メンバーが山荘内でコードネームで呼び合う際に山の名前を用いたことを意識してか[要出典]、実在の人物を強く意識した登場人物の作中仮名(特に姓)はほぼ、日本国内の著名な山の名前から採られている。

以下、『レッド 最後の60日 あさま山荘の10日間』までに描かれている時期(1972年2月まで)の内容に限定する。

大括弧内の数字は作中での死亡順[2]。死亡順なので、あさま山荘事件での警官や一般人にも数字が付けられている。
革命者連盟

神奈川県を拠点に活動する比較的少数の新左翼グループ(日本共産党(革命左派)神奈川県委員会に相当)。毛沢東思想に基づきゲリラ闘争路線をとるが、警察による1969年末のリーダー筑波らの根こそぎ検挙で壊滅的な打撃を受ける。またあまりにも先鋭的かつエキセントリックなその闘争路線は、大衆からの孤立を懸念する他党派からしばしば顰蹙を買っていた。しかし、1970年末に都内での交番襲撃作戦を敢行し、(結果としては失敗に終わり大きな犠牲を払ったものの)この事件により一躍新左翼内部での注目と支持を集めることとなる。合法組織は「共闘戦線」(「京浜安保共闘」に相当)。機関紙として『革命の鐘』(『解放の旗』に相当)を刊行している。ヘルメットは無地に「革」。「革命者連盟神奈川委員会」が正式名称らしいが、赤城と谷川のアジトは茨城にあり、そのことを宮浦に揶揄されている。毛沢東思想に基づく反米路線をとっており、メンバーはピンポン外交のような米中の歩み寄りを理解できないでいる。
赤城容子(あかぎ ようこ?)
モデルは永田洋子。名前の由来は赤城山から。この物語の中心人物の一人の、女性活動家。病院勤務の薬剤師であったが革命運動に専念するため退職。病弱でしばしば立っていられないほど苦しむことがある。組織活動への熱意は人一倍で、ゲリラ闘争が唯一の正しい方針であると信じ、それに自分のすべてを捧げたいと考えており、しばしば他のメンバーに対し感情を爆発させる。羽田空港での火炎瓶闘争の直前、赤城に肉体関係を強要された。保釈中の谷川から突然プロポーズされ、最初は断ったものの結局は受け入れる。谷川との間に子供を宿すも中絶し、それ以降活動を理由に出産を諦めるのはよくないと考えるようになる。1970年9月、精力的な活動が評価され、指導部の選挙で組織のリーダー(獄外)に選ばれる。1970年12月の銃器奪取作戦の直後、谷川、吾妻と共に非合法活動に移る。地味な容姿で、彼女を「鬼ババ」と呼ぶメンバーもいる。榛名ベースで結成した赤色連盟の指導部では北に次ぐ2番目の地位となり、メンバーたちに厳しい態度をとる。厳しく追及される黒部一郎を見て「自分が同じような境遇になったら総括できる自信がない」と総括への不安を感じる一面もみられたが、1月中旬以降は安達、神山の処刑や白根、宮浦への徹底した総括要求を断行した。2月上旬、カンパ集めのため都内アジトへ潜伏した際に北と共産主義化を追求した末に彼と結婚、同時に谷川への離婚を宣言し、総括要求を突きつけた。その後、北とともに妙義ベースへ向かうが逃走済みのメンバーと合流できず、警官隊に包囲され、抵抗を試みるが呆気なく逮捕された。
谷川(たにがわ ひろし)
モデルは坂口弘。名前の由来は谷川岳から。赤城の夫。工場で働いていたが、1969年9月の羽田空港での火炎瓶闘争に参加し逮捕、同年末保釈され、翌年2月に東京地裁で懲役7年を求刑される。


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