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レッドウイング作戦
アフガニスタン紛争中
時2005年6月27日 - 2005年7月
場所アフガニスタン
サウテロ山南側付近
結果作戦の中止
作戦要員が1人を除いて全滅
米軍が生存者を救出
衝突した勢力
アメリカ合衆国 アフガニスタン
指揮官
アンドリュー・マクマナス
エリック・クリステンソン
マイケル・マーフィーアフメド・シャー
戦力
Navy SEALs 12人
第160特殊作戦航空連隊 8人タリバン 最低8?10人
最大70?100人(出典によって異なる)[1][2][3][4]
被害者数
19人死亡
1人負傷
CH-47 1機 墜落不明 最大35人死亡
レッド・ウィング作戦(Operation Red Wings)は、アフガニスタン紛争において2005年6月27日にアフガニスタン、クナル州の山岳地帯においてターリバーンに対して米海軍特殊部隊Navy SEALs(ネイビーシールズ)が行った軍事作戦である。ターリバーンの幹部殺害のために行われた作戦だったが、最終的にSEALs隊員11名と第160特殊作戦航空連隊の隊員8名の計19名が戦死するという大きな損害を出し、Navy SEALs創設以来最悪の出来事となった。 アフガニスタン東部のクナル州アサダバード近郊で議会選挙の妨害を狙い、旧タリバン勢力の活動が活発化していた。その中において中心的な役割を担っていたのが、150人程度の武装勢力を率いるアフマド・シャーであった。 アメリカ軍はこのシャーの排除を決め、Navy SEALs・チーム10を派遣することを決定し、本作戦が立案された。4名の偵察チームを派遣し、可能ならば狙撃により殺害。不可能であれば航空支援による空爆で排除を行う予定であった。 レッド・ウィング作戦は、以下の5段階に分けられ計画立案された。レッド・ウィング作戦のために作られた地図 海兵隊がレッド・ウイング作戦の基本部分を立案し、個別の詳細な活動はSEALsに一任されていた。 2005年6月27日の夜間未明、第160特殊作戦航空連隊の2機のMH-47が降下地点のサウテロ山南側付近に到着。一機が索敵としてデコイを大量に投下した後SEALs偵察チームがロープで地上に降下した。偵察目標地点まで約2.4kmであった。 降下したのはSEAL・SDVチーム1のマイケル・P・マーフィ大尉、マシュー・アクセルソン二等兵曹、マーカス・ラトレル一等兵曹、SEAL・SDVチーム2のダニー・ディーツ二等兵曹の4名であり、徒歩により目標地点へ接近、対象を監視できる拠点を確保して偵察行動を開始した。
作戦の背景
作戦の概要
フェーズ1
特定:SEALs偵察チームは、アフマド・シャーが潜んでいると思われる区域一帯に接近して調査、シャーとその部下の場所を特定し、フェーズ2の攻撃チームを誘導する。可能であればそのまま排除へと移行する。
フェーズ2
排除:SEALs攻撃チームは、海兵隊の支援を受け、MH-47 チヌークに搭乗してシャーとその部下を捕獲又は殺害する。
フェーズ3
警戒線設定と周囲の安全確保:海兵隊はアフガニスタン国軍兵と連携して、現場周辺の山岳地帯に存在する武装集団を掃討する。
フェーズ4
地域の安定化:海兵隊、アフガン国軍兵と海軍衛生部隊は、地域住民の要望に応じて医療、道路、井戸、学校などのインフラを整備する。
フェーズ5
撤退:状況に応じて、海兵隊は最長1ヶ月間当該区域に残留し、更なる安定化に寄与した後撤退する。
潜入から現地民との接触と戦闘レッド・ウィング作戦に参加したSEALs隊員、右から3番目が唯一の生存者であるマーカス・ラトレル一等兵曹