レット・イット・ビー_(映画)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}ビートルズ > ビートルズの作品 > レット・イット・ビー (映画)

レット・イット・ビー
Let It Be
監督マイケル・リンゼイ=ホッグ
製作ニール・アスピノール
製作総指揮ザ・ビートルズ
出演者ビートルズ
マル・エヴァンズ
マイケル・リンゼイ=ホッグ
リンダ・マッカートニー
ヘザー・マッカートニー
オノ・ヨーコ
ビリー・プレストン
デレク・テイラー
音楽ジョン・レノン
ポール・マッカートニー
ジョージ・ハリスン
リンゴ・スター
撮影アンソニー・B・リッチモンド
配給ユナイテッド・アーティスツ
公開 1970年5月20日
1970年8月25日
上映時間81分
製作国 イギリス
言語英語
テンプレートを表示

『レット・イット・ビー』(Let It Be)は、ビートルズが1969年1月に行ったセッション(ゲット・バック・セッション)と、彼らの最後のライブ・パフォーマンスとなった「ルーフトップ・コンサート」の模様を記録した、ドキュメンタリー映画である[1]。「ペイパーバック・ライター」や「レイン」等のプロモーション・フィルムの制作を手がけたマイケル・リンゼイ=ホッグが監督を担当した。

映画の当初の目的は、ビートルズのリハーサルとライブ演奏を見せることであった。しかし、メンバーの心はバラバラに分かれ始め、結果的に本作は解散に向かうビートルズの姿を記録するものとなった。

クレジットは"APPLE an abkco managed company presents"となっており、ビートルズの会社「アップル・コア」と、当時のビジネスマネージャーだったアラン・クレインの会社「アブコ・レコード」が名を連ねている。本来はテレビ放映のために16mmフィルムで収録されたが、クラインの意向により劇場用の35mmフィルムに焼き直された。
スタジオ・セッション

1969年1月2日、ビートルズはロンドンのトゥウィッケナム映画撮影所(英語版)にてセッションを開始し、映画クルーによってその模様が撮影された。慣れないスタジオでの作業、常に撮影をされていることなど、緊張と不満がビートルズの中に存在し、彼らはトゥイッケナム映画撮影所の状態と仕事のスケジュールも嫌がっていた。彼らは朝早くからセッションを始めるよりは普段、録音していたアビー・ロード・スタジオで、いつものように夜遅くにセッションを行いたがった。

1月10日ジョージ・ハリスンはバンドからの離脱を告げた[2]が、フィルムには記録されなかった。彼は戻ってくるように説得され、1月22日からはロンドンサヴィル・ロウにあるアップル・コア内の録音スタジオに場所を移し、セッションを再開した。アップルでのセッションの際、ハリスンは電気ピアノオルガン演奏をしてもらうためにキーボード奏者のビリー・プレストンを連れてきた[3]

バンド内での衝突は映画から抜け落ちているが、作品中ではマッカートニーとハリスンの間での口論や、マッカートニーとレノンの噛み合わない会話など、バンド内で漂う不協和音を感じさせる場面も含んでいる。映画で演奏された曲は多くがアルバム『レット・イット・ビー』に収録されたが、1969年夏にバンドが再集合した時のアルバム『アビイ・ロード』の数曲も含まれている。スタジオでのセッションの場面は1969年1月31日、アップルにてビートルズが「トゥ・オブ・アス」、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」、「レット・イット・ビー」のスタジオ・ライブの場面で終了する[4]
ルーフトップ・コンサート詳細は「ルーフトップ・コンサート」を参照ルーフトップ・コンサートが行われた旧アップル・コア本社

映画プロジェクトの元々の構想では最後にライブ・ショー(1966年8月29日サンフランシスコキャンドルスティック・パークで最後のツアーを終えてから初の公式なライブ・パフォーマンス)で終わるというものであった。しかしライブの方法についての意見はなかなかまとまらなかった。ポール・マッカートニーはビートルズが初期に行っていたように小さいクラブで演奏することを主張し、ジョン・レノンアフリカのような海外で行うことを主張した[注釈 1]リンゴ・スターイングランドにとどまるよう要求し、ジョージ・ハリスンはどんなライブ・パフォーマンスにもほとんど興味を示さなかった。

結局、ライブの方法はアップル本社の屋上において予告無しでコンサートを行うことになった。ビートルズはプレストンと一緒に1969年1月30日、ゲリラ的にライブ演奏を行った。映画は屋上から大音量で鳴り響く演奏に驚くロンドンの住民たちの姿も記録されている。映画は駆けつけた警察官によって演奏が止められ、コンサートが終了するところで終わる。のちに「ルーフトップ・コンサート」呼ばれるこのコンサートはビートルズの最後の公式なライブ・パフォーマンスとなった。

ビートルズはルーフトップ・コンサート中に5曲演奏している。「ゲット・バック」(3回)、「ドント・レット・ミー・ダウン」(2回)、「アイヴ・ガッタ・フィーリング」(2回)、「ワン・アフター・909」と「ディグ・ア・ポニー」である。(ビートルズは短くしたゴッド・セイヴ・ザ・クイーンと短いリハーサルの「アイ・ウォント・ユー」も演奏したが、その間セカンドエンジニアのアラン・パーソンズがテープの入れ替え作業をしており、この演奏は映画から省かれてしまった)[5]

最後の曲が終わってから、マッカートニーが"Thanks Mo!"と言うのが聞こえる。これはモーリン・スターキーが大きな拍手と励ましを送ったことに応えたものである。それからレノンがよく知られた言葉であるI'd like to say 'thank you' on behalf of the group and ourselves, and I hope we passed the audition![5]で閉じた。このやりとりはアルバム『レット・イット・ビー』の最後に追加された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:106 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef