レッジョ・ディ・カラブリア
Reggio di Calabria
行政
国 イタリア
州 カラブリア
県/大都市 レッジョ・カラブリア
CAP(郵便番号)89100
市外局番0965
ISTATコード080063
識別コードH224
分離集落#分離集落参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
地震分類zona 1 (sismicita alta)
気候分類
レッジョ・ディ・カラブリア(イタリア語: Reggio di Calabria)は、イタリア共和国カラブリア州にある都市で、その周辺地域を含む人口18万人の基礎自治体(コムーネ)。レッジョ・カラブリア県の県都である。イタリア半島の「つま先」にあたる地点に位置し、シチリア島との間を隔てるメッシーナ海峡に面する。カラブリア州最多の人口を有する自治体で、州議会の所在地であり、州の経済的な中心地である。
イタリアにおける最古のギリシャ人植民都市の一つであるレギオンを起源に持ち、多くの考古遺産を有する。都市の長い歴史には地震と津波も繰り返し刻まれており、とくに1783年と1908年の被害は壊滅的なものであった。市街地は市域を超えて広がっており、レッジョ・ディ・カラブリア都市圏には37万人以上が暮らしている。また海峡を挟んだシチリア島のメッシーナとのつながりも密接である。
名称))と呼ばれ、南イタリアでは単にレッジョ(Reggio)で通用する。同じく「レッジョ」の名を持つ大都市に、エミリア=ロマーニャ州のレッジョ・ネッレミリア(Reggio nell'Emilia、一般にはレッジョ・エミリア)がある。イタリア語では形容詞形が異なっており、「レッジョ・ディ・カラブリアの」は「レッジーノ/レッジーナ」(Reggino/Reggina)、「レッジョ・ネッレミリアの」は「レッジャーノ/レッジャーナ」(Reggiano/Reggiana)となる。
標準イタリア語以外では以下の名称で呼ばれる。
シチリア語カラブリア方言: Riggiu
ギリシア語カラブリア方言: Ρ?γο? / Righi
歴史上は、レギオン(古代ギリシア語: ??γιον / Rh?gion)、レギウム(ラテン語: Rh?gium)などの名を持っており、ほかにも多様な語形で記録されている。中世から近代にかけては Reggio や Regio と呼ばれ、イタリア統一後に「レッジョ・ディ・カラブリア」が正式名称となった。 レッジョ・カラブリア県南西部のコムーネである。西にシチリア島とを隔てるメッシーナ海峡に面し、市域東部にはアスプロモンテの山塊が広がる。レッジョ・カラブリア県概略図 隣接するコムーネは以下の通り。 レッジョの起源は、神話として伝えられるところと、考古学的に点景されるところとを合わせ、以下のように考えられている。紀元前3千年紀後半から紀元前8世紀にかけて、この地にはオピキ人あるいはオスキ人 (Osci
地理
位置・広がり
隣接コムーネ
バガラーディ
カランナ
カンポ・カーラブロ
カルデート
フィウマーラ
ラガナーディ
モンテベッロ・イオーニコ
モッタ・サン・ジョヴァンニ
ロッカフォルテ・デル・グレーコ
サンタレッシオ・イン・アスプロモンテ
サント・ステーファノ・イン・アスプロモンテ
ヴィッラ・サン・ジョヴァンニ
歴史
古代市街中心部の考古地図。3がギリシャ人の都市(紀元前4世紀)、4は1783年までに広がった都市、10がプンタ・カラミッツィ。
ギリシャ人以前
この地には、紀元前8世紀のギリシャ人入植以前に、エリュトラ(Ερυθρ? / Erythra)と呼ばれる、より古い都市があった。「赤」を意味するエリュトラの建設は紀元前3千年紀にさかのぼり、おそらくはアウソニ人によって築かれた。アウソニ人の最後の支配者はイタルス王(Italus)で、「イタリア」という名称は彼から名づけられた[5]。
現在のレッジョ周辺の地域はサトゥルニア(Saturnia)と呼ばれ、のちにイタリア(Italia)と呼ばれた。のちのローマ時代、「イタリア」という名称は半島全域を指して使われるようになったが、この時代には現在のカラブリア州南部、のちにブルジウム(Bruzium)と呼ばれることになる限られた地域のみを指していた[4]。