レックス・ハドラー
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レックス・ハドラー
Rex Hudler
AAA級ナッシュビル時代
(1982年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地アリゾナ州マリコパ郡テンピ
生年月日 (1960-09-02) 1960年9月2日(63歳)
身長
体重6' 0" =約182.9 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション二塁手外野手
プロ入り1978年 MLBドラフト1巡目(全体8位)でニューヨーク・ヤンキースから指名
初出場MLB / 1984年9月9日
NPB / 1993年4月10日
最終出場MLB / 1998年6月23日
NPB / 1993年11月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


バラード高等学校(英語版)

ニューヨーク・ヤンキース (1984 - 1985)

ボルチモア・オリオールズ (1986)

モントリオール・エクスポズ (1988 - 1990)

セントルイス・カージナルス (1990 - 1992)

ヤクルトスワローズ (1993)

カリフォルニア・エンゼルス (1994 - 1996)

フィラデルフィア・フィリーズ (1997 - 1998)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

レックス・アレン・ハドラー(Rex Allen Hudler , 1960年9月2日 - )は、アメリカ合衆国アリゾナ州マリコパ郡テンピ出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。
来歴

1978年MLBドラフト1巡目(全体18位)でニューヨーク・ヤンキースから指名され、プロ入り。

1984年9月9日メジャーデビュー。

1986年ボルチモア・オリオールズに移籍。

1988年モントリオール・エクスポズへ移籍。

1990年シーズン途中にセントルイス・カージナルスと渡り歩く。エクスポズ時代の1989年8月23日の対ロサンゼルス・ドジャース戦は長時間試合となり、延長20回裏から出場したハドラーは1点リードされた22回裏2死から安打で出塁したが、次打者の時に盗塁に失敗し、6時間14分の長丁場にピリオドを打つ形になった。

1993年レオン・リーの紹介で受けた入団テストに合格し、ヤクルトスワローズに入団する[1]。前年のスワローズは、二塁を守っていたジョニー・レイが途中退団し、シーズン途中に獲得したジョニー・パリデスも、助っ人としては満足な成績とは言えず、この空いた二塁手の穴を埋めるべく獲得された。本来「守備の人」の期待を背負っていたが、シーズン開幕とともにエラーを連発(シーズントータルの失策数は14)[2]し、守備の評価はがた落ち。一方でバッティングでは結果を残し、ほぼ8番打者ながら打率.300を達成。シーズン2回のサヨナラ打、得点圏打率はリーグトップという勝負強さを見せ、同年の優勝・日本一に大きく貢献した。

1994年も引き続き残留の予定であった(1993年オフに出版されたヤクルトの優勝記念本にも登場し、「来季は2番でプレーしたい」と発言している)。しかし野村克也監督が、当時巨人を解雇されたジェシー・バーフィールド獲得を表明(実現せず)。もともと野村は、守備に不安要素を持ち小技も効かないハドラーを高く買っておらず、外野守備が得意なバーフィールドに興味を示した。当時、同時出場可能な外国人野手は2名(1993年まで一軍登録2名、1994年から一軍登録3名・同時出場2名)までとなっており、残留しても出場の可能性が低くなることを嫌ったハドラーは、一転してサンフランシスコ・ジャイアンツと契約し退団。ヤクルトでの在籍はわずか1年であった。スプリング・トレーニング中にジャイアンツを解雇されたが、カリフォルニア・エンゼルスと契約。その後、エンゼルス、フィラデルフィア・フィリーズ1998年まで現役を続けた。

2012年よりカンザスシティ・ロイヤルズの球団専属解説者として活動している[3]


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