(国旗)(国章)
国の標語:Khotso, Pula, Nala(平和、雨、繁栄)国歌:Les?th? Fat?e La Bo Ntat'a R?na
レソト、父なる地
公用語ソト語、英語
首都マセル
最大の都市マセル
政府
国王レツィエ3世
首相サム・マテカネ
面積
総計30,355km2(137位)
水面積率極僅か
人口
総計(2020年)2,142,000[1]人(144位)
人口密度70.6[1]人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2019年)329億3800万[2]ロチ
GDP(MER)
合計(2019年)22億2800万[2]ドル(166位)
1人あたり1087.591(推計)[2]ドル
GDP(PPP)
合計(2019年)56億5000万[2]ドル(159位)
1人あたり2758.613(推計)[2]ドル
独立
- 日付イギリスから
1966年10月4日
通貨ロチ(LSL)
時間帯UTC+2 (DST:なし)
ISO 3166-1LS / LSO
ccTLD.ls
国際電話番号266
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レソト王国(レソトおうこく、ソト語: Muso oa Lesotho IPA: [l??s??t??]、英語: Kingdom of Lesotho [l??su?tu?]
( 音声ファイル))、通称レソトは、アフリカ南部に位置する立憲君主制国家。イギリス連邦加盟国のひとつ。周囲を南アフリカ共和国に囲まれた世界最南の内陸国で、首都はマセルである。1966年にイギリスから独立した。英領時代の旧称はバストランド。非同盟中立を宣言している。「レソト」とは、「ソト語を話す人々」という意味である。イギリス保護領時代はバストランド保護領と呼ばれていたが、独立と同時にレソトへと改称した。
歴史詳細は「レソトの歴史(英語版
現在のレソトの地域はサン族(ブッシュマン)の居住地だったが、16世紀に入るとバントゥー系ソト族が北方より移動してきてサン族を駆逐し、この地を支配した。1820年代に入るとこの地方はズールー王国の大侵攻にはじまるムフェカネ(大壊乱)と呼ばれる動乱期に入るが、1822年に即位した初代国王モショエショエ1世はタバ・ボシウ丘陵に立てこもってングワネ人やンデベレ人の侵攻をしのぎ、勢力を拡大した[3]。ついで1835年にはオランダ系のボーア人が西方への大移動、いわゆるグレート・トレックを開始し、これに対抗するため1843年にイギリスの保護を受けることとなった[4]。ボーア人がレソトの西方に建設したオレンジ自由国とは数度の戦闘を繰り返したものの次第に不利となり、1869年に講和を結んだ。この条約によってレソトはバストランドとされ、またカレドン川以西の肥沃な領土を割譲し、国土が半減したうえ山岳地帯のみを領するようになった[5]。