その他の用法については「レストラン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
ニューヨークのトムズ・レストラン。スザンヌ・ヴェガの歌「Tom's Diner」に歌われ、テレビドラマ、『となりのサインフェルド』に「Monk's」として登場する。フィンランドのタンペレにある中華料理店。テルモポリウム(ヘルクラネウム)
レストラン(仏: Restaurant)とは、一般的には客ごとに個別のテーブルを用意し、客がメニューから料理を選択できるようにした飲食店[1]。飲食店の一種であるが、統計上などでは専門料理店(料亭、ラーメン店、焼肉店など)はレストランに含まれず別の区分になっている[2]。 飲食を提供する店は古くからあり、例えばギリシャ・ローマ時代から使われている飲食できる店を意味する語にタベルナがあるが、これは市場などに集まってきた人々に屋台に近い設備で簡単な軽食を出すものであった[1]。 中世ヨーロッパのギルド制のもとでは飲食店も25業種に分けられ、ロスティエールではロースト料理のみ、シャルキュティエでは豚料理のみなどギルドの種類ごとに決まった料理しか提供することが認められず、トレトゥールと呼ばれた仕出し屋のみが日替わりの料理を提供できた[1]。また、中世ヨーロッパでの飲食店や宿屋での食事の提供は大テーブルを客が囲み大皿から料理を取り分けて食べる方式であった[1]。 レストランはフランス語に由来し、その起源については諸説あるが、フランス語のレストレ(restaurer)から来ている[1]。レストランの語が用いられるようになったのは、18世紀に都会に働きにきた人たちなどに体調を回復できるよう消化に良い食べ物を提供するようになったことが由来になっている[1]。レストランでの食事の提供の特徴は、客ごとに個別のテーブルを用意したこと、客が体調に応じてメニューから料理を選択できるようにしたこと、それぞれの料理の価格を明記したことなどが挙げられる[1] レストランは国際標準産業分類(ISIC)ではサービス業としてホテルと同じ区分になっている[3]。また、日本標準産業分類では「小分類7611-食堂、レストラン(専門料理店を除く)」に分類されており「主として主食となる各種の料理品をその場所で飲食させる事業所」と定義されている[2]。
概説
歴史
中国A 宋の茶屋、張択端
食事のサービスを行う店は、宋前期の中国の北の首都である開封で11世紀以降から知られていた。100万人以上の人口、歓待の文化により、開封ではレストラン発展の機が熟していた。旅行者向けの茶屋と居酒屋が発展し、開封のレストランは中国の他地域からの人びとを受け入れると同時に地域住民向けの産業として発展したと考えられる[4]。スティーブン・H・ウェストはレストラン事業の発展と宋で急拡大した中産階級商人に供された演劇舞台、賭博、および売春の施設に密接な関係があると論じている[5]。
レストランは料理、価格帯、および宗教用件の様々な形式を供した。一軒のレストランでさえ多くの選択が可能であり、メニューから料理を選んで注文した[4]。1275年以降の宋後期の首都、杭州について以下のように記述されている。杭州の人々を喜ばせることは非常に難しい。四方八方から何百もの注文が行われる。ある人は温かい料理、別の人は冷たい料理、もう1人は微温の料理、4人目は冷却された料理を注文する。ある人は調理した料理、別の人は生の料理、別の人は焙った料理、別の者は焼いた料理を注文する[6]。
杭州のレストランはまた1120年の女真の侵攻から逃れた北宋の人々の多くに利用され、多くのレストランが開封からの移民によって、経営されていたことが知られている[7]。
女真に支配された金の時代、1153年に開封で開業した馬豫興桶子鶏 (Ma Yu Ching's Bucket Chicken House
) は、当時から現在まで変わらず経営しているとされる(連続した営業を証明する資料は存在せず、単に名前を頂いただけという可能性もある)。