レジーナ・スペクター
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レジーナ・スペクター
2009年
基本情報
生誕1980年2月18日
ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
ジャンルアンチ・フォーク
オルタナティヴ・ロック
インディー・ポップ
バロック・ポップ
職業歌手, 作曲家, 音楽プロデューサー
担当楽器ピアノ, ボーカル, ギター
活動期間2001 - 現在
レーベルSire Records
公式サイト ⇒ReginaSpektor.com

レジーナ・スペクター(英語: Regina Spektor, ロシア語: Регина Спектор, 1980年2月18日 - )は、ロシア出身で、アメリカ合衆国を活動拠点とするシンガーソングライターピアニストである。彼女の音楽はニューヨークイースト・ヴィレッジを中心とするアンチ・フォーク・シーンと結びついている。
生い立ち

スペクターはソビエト連邦モスクワアシュケナジムの音楽一家に生まれた。父親は写真家兼アマチュアのヴァイオリニストである。母親はロシアの音楽学校の教師だった。現在はニューヨーク州のマウント・バーノン市にある公立の小学校で教えている。彼女の名字「スペクター」はロシア語の инспектор (英語では"inspector"、日本語で「監察官」の意)に由来する。(ロシア政府に監察官として登録されたユダヤ人は出国の際に有利な特別待遇を受けられる)

スペクターは6歳の頃からクラシック・ピアノを習い始めたが、同時に彼女の父親が東ヨーロッパでのレコーディングの際にソビエト連邦の友人たちと交換したカセットテープに収録されていたビートルズクイーンムーディ・ブルースといったロックバンドの音楽に影響を受けている。家族はレジーナが9歳になった1989年にペレストロイカ期のユダヤ人系市民への移住許可を受けて、ソビエト連邦を離れている[1] 。移住先は最初はオーストリア、後にイタリアとなったが最終的にはニューヨーク市のブロンクス区に落ち着いた。
ソングライターとしての活動

ニューヨークにて、スペクターはマンハッタン音楽院の教授であるソーニャ・ヴァルガスに師事し、クラシック音楽の畑で育つ。自宅での編曲には取り組んでいたものの、彼女が最初に作曲への興味を示したのは十代の時期にイスラエルへ旅行したときであった。ハイキング中に彼女が作った歌が旅をともにしていた他の子の注意を引いたのをきっかけに、彼女は作曲における自分の才能を自覚するようになる。この旅行中に彼女はジョニ・ミッチェルアーニー・ディフランコ等のシンガーソングライターの作品に出会い、自分なりのスタイルを確立するアイデアを得たようだ。

スペクターはニューヨーク州立大学パーチェス校にて音楽科の作曲課程を、通常4年のところ優秀な成績ということで3年で修了している(2001年)。ウィスコンシン州の植物園で短期間働いた後、イースト・ヴィレッジのサイドウォーク・カフェを中心としたニューヨーク・ダウンタウンのアンチ・フォーク・シーンの活動を通じて徐々に名前を知られるようになる。この時期の演奏は、2枚のセルフ・プロデュースによるCD(“11:11”と“Songs”)に収められている。
スタイル

スペクターの独特な作品は多様なスタイル/テクニックのミックスにより生みだされている。その多くはシンプルなピアノ・リフから始まるが、終わりに近づくにつれてうめき声やナンセンスな歌詞、震えたような声、その他意味不明なノイズが登場してくる。スペクターはこれまでに多数の曲を作ってきたが、そのほとんどを譜面に書き留めていないと言う。曲を作りたいと強く願ったことはなくて、あたかも音楽が彼女に自然に流れ込んでくるのだと語る。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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