レジナルド・フェッセンデン
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レジナルド・フェッセンデン
ラジオ放送の父
生誕 (1866-10-06) 1866年10月6日
カナダ ケベック州イーストボルトン
死没1932年7月22日(1932-07-22)(65歳)
バミューダ諸島
職業発明家ラジオの先駆者
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レジナルド・オーブリー・フェッセンデン(: Reginald Aubrey Fessenden、1866年10月6日 - 1932年7月22日)は、カナダ発明家で世界初の無線による音声および音楽の送信など、ラジオに関する先駆的実験を行ったことで知られている。その後、高出力送信、ソナーテレビなどの分野で多数の特許を取得した。
伝記

カナダケベック州イーストボルトンで生まれる。14歳のとき、学校から数学のマスターシップの称号を与えられた。

1886年末、ニュージャージー州ウェストオレンジにできたトーマス・エジソンの新たな研究所で働くようになった。特に受信機の設計で急激に頭角を現し、音声信号の受信機の開発を行った。1890年から1900年までいくつかの製造業者で働き1892年にはパデュー大学電気工学の教授になり、1893年にはピッツバーグ大学の電気工学部長となった。1900年、アメリカ気象局で働き2つの信号を混合することで可聴範囲の音を取出すヘテロダイン原理を発見した。そこで1900年12月23日に高周波火花送信機を使った音声信号の送信実験を行い、約1.6km離れた地点で受信に成功した。これが世界初の音声信号の無線通信とされている。

レジナルドは研究の財政的基盤としてNational Electric Signaling Company(NESCO)を創設。長距離無線電信サービスのための高出力回転式火花送信機と、電信と音声通信に使える低出力の連続波交流発電式送信機の開発を行った。レジナルドは、単一の周波数の正弦波を生成できる連続波交流発電式送信機が音声通信にも適しており、はるかに有望だと考えた。そこでゼネラル・エレクトリックと契約し、一連の高周波交流発電式送信機を設計・製作した。

1906年12月21日、ブラントロックで新たな交流発電式送信機の公開実験を行い2地点間の無線電話や既存の有線電話網に無線を相互接続しての通話実験を行った。数日後、追加の公開実験を行い、これが娯楽および音楽を一般向けに流した世界初のラジオ放送とされている。同年12月24日(クリスマスイブ)にブラントロックから行われたラジオ放送はレジナルド自身が『さやかに星はきらめき(O Holy Night)』をヴァイオリンの伴奏で歌い、聖書のルカの福音書第2章の一節を朗読するというものだった。同年12月31日(大晦日)には、再び番組の放送が行われた。当然ながら当時はラジオを一般家庭で持っているはずもなく、これらの放送の聴衆は沿岸を航行する船の無線技師たちだけだった。現在ではこれらの実験の重要性が認められているが当時はほとんど話題にならず、すぐに忘れ去られた。

技術的な進歩は目覚しかったが、財政的には困窮していった。このためNESCO経営陣とレジナルドの間に軋轢が生じ、ついに1911年1月、解雇された。レジナルドは同社を相手取って裁判を起こし一審では勝ったものの、控訴審でNESCO側が勝利した。同社は1920年ウェスティングハウスに売却され、翌年にはレジナルドの数々の重要な特許が資産としてRCAに売却された。このため、訴訟もRCAが引き継いだ。

1920年以降、交流発電式送信機ではなく真空管を使った送信機によるラジオ放送が普及し始めたがレジナルドが1906年に導入に関わった振幅変調方式を採用していた。1911年にNESCOを解雇されてからはラジオ関係の研究はせず、他の分野で研究を続けた。最終的には500以上の特許を取得している。RCAとの訴訟が解決すると、和解金でバミューダ諸島の"Wistowe"を購入した。

レジナルドのラジオに関する重要な貢献は世界初の音声信号の無線送信(1900年)、世界初の大西洋横断双方向無線送信(1906年)、世界初の娯楽および音楽のラジオ放送(1906年)である。
学生時代まで生誕地にある記念碑

レジナルドは1866年10月6日、カナダケベック州イーストボルトンでReverend Joseph Elisha FessendenとClementina Trenholme Fessendenの4人の子の長男として生まれた。Josephはカナダのイギリス国教会の聖職者で、そのころは家族を伴ってオンタリオ地方を転々としていた。成長するにしたがって、学業で優秀さを見せるようになった。1877年、11歳のとき、オンタリオ州ポートホープのTrinity College Schoolに入学し2年間通った。14歳のときには、ケベック州Lennoxvilleのビショップ・カレッジ・スクール(Bishop's College School) で数学のマスターシップの称号を与えられた。当時Bishop's College SchoolはBishop's Universityの付属学校で、同じキャンパスにあった。1878年7月の入学者はわずか43名の男子だけだった。10代でありながら年下の生徒には教師として数学を教え、同時に年上の学生に混じってBishop's Universityで数学を学んでいた。1883年から1884年における同大学の入学者数は25名(全て男子)だった。18歳になると「学ぶべきことは全て学んだ」として同大学を中退した。学位を取得せずに中退したことは後々、仕事に影響することになった。マギル大学に電気工学部門が設立されたとき、学部長の座を申請したが叶わず、アメリカ人に与えられた。

大学を離れた後の約2年間、バミューダ諸島のWhitney Instituteで唯一の先生兼校長として働いた。ここで妻となるHelen Trottと婚約し、1890年9月に結婚。後に息子Reginald Kennelly Fessendenをもうけた。
初期の業績

レジナルドが受けた古典的な教育では、科学的訓練や技術的訓練はごく限られたものだった。電気技術への興味がふくらんでくると彼は1886年にニューヨークに移住し、有名な発明家トーマス・エジソンに雇ってもらおうと考えた。1925年の自伝Radio Newsによれば、最初は何度行っても門前払いだったという。最初の履歴書には「電気のことは何も知りませんが、すぐに学んでみせます」と書いてあり、これに対してエジソンは「電気を知らない者なら間に合っている」と返した。しかし彼はあきらめず Edison Machine Works に半熟練工として雇われ、検査技師補佐となった。同社はニューヨークの地下送電網を構築中だった。レジナルドはすぐに頭角を現し、徐々に責任ある地位に登りつめていった。1886年末にはエジソン直属のアシスタントとして、ニュージャージー州ウェストオレンジに新たに設けられた研究所で働くようになった。同研究所では化学、冶金、電気など様々なプロジェクトに関わった。しかし1890年、財政問題が発生しエジソンはレジナルドを含めた多くの所員を解雇せざるをえなくなった。

素晴らしい実績が買われ、いくつかの製造業者に職を得た。1892年パデュー大学に新たに創設された電気工学部門の教授の職を得た。同大学に勤務する傍らウェスティングハウスの依頼を受け、1893年シカゴ万国博覧会での照明の設置を監督した。その後間もなくジョージ・ウェスティングハウスが個人的にフェッセンデンを引き抜き、Western University of Pennsylvania(後のピッツバーグ大学)の新たな電気工学部門の学部長とした。
ラジオ

1890年代末、グリエルモ・マルコーニが実用的な無線送受信システムを開発したという知らせが届いた。レジナルドは無線の実験を始め、オリバー・ロッジとマルコーニが作り上げた火花送信機コヒーラ受信機よりも遥かに効率的なシステムを開発できると確信した。
気象局との契約と世界初の音声無線通信

1900年、レジナルドはピッツバーグ大学を辞めてアメリカ気象局に移り、海岸線に沿って無線局のネットワークを構築して気象情報を送信し既存の電信網を使わずに済むようにするという仕事にとりかかった。契約によって気象局はレジナルドの発明を自由に使えるが、発明品の所有権はレジナルド自身が保持することになった。すぐさま(特に)受信機の設計で大きな進展があり、音声信号の受信機能を開発していった。まずバレッタ検波器を開発し、その後、硝酸に浸した細いワイヤでできた電解検波器を開発した。電解検波器はその後数年間、無線受信機の検波の標準となった。研究の進展の中でレジナルドはヘテロダインの原理も発見した。これは2つの信号を掛け合わせることで第3の可聴音を生成するものである。しかしヘテロダインには安定した局所信号が必須であったため、発振用真空管が開発されるまで約10年ほどは実用化できなかった。

当初の仕事場はメリーランド州 Cobb Islandにあった。ポトマック川沿いのワシントンD.C.から80kmほど下流である。1900年12月23日、その場所で高周波火花送信機による実験を行い音声信号を約1.6km離れた地点で受信することに成功した。これが世界初の音声無線送信である。当時の音質はひどいもので商業化はまだ無理だったが、この実験で技術を改良していけば音声信号を無線で送信できることが証明された。

実験の進展に伴い、大西洋岸(ノースカロライナとバージニア)に新たな無線局を建設した。そんな中、スポンサーとの論争に巻き込まれた。


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