レジス・ドゥブレ
Regis Debray
レジス・ドゥブレ(2016年)
誕生 (1940-09-02) 1940年9月2日(83歳)
フランス、パリ
職業作家、哲学者、評論家
言語フランス語
教育博士
最終学歴高等師範学校
パンテオン・ソルボンヌ大学(博士)
ジャンル随筆、小説、評論
代表作『雪が燃えるように』
『革命の中の革命』
主な受賞歴ファミナ賞
レジス・ドゥブレまたはドブレ(Regis Debray、1940年9月2日 - )は、フランスの作家、哲学者、評論家、政治活動家。 1940年、フランスのパリにて生まれる。父ジョルジュは弁護士、母ジャニーヌ・アクレサンドルは政治家。パリの高等師範学校で哲学を学ぶ[1]。このときに、ルイ・アルチュセールに出会い、マルクス主義への理論的関心を高める[2]。1965年に哲学の大学教授資格を取得し、ナンシーのリセ教授となる。 1961年、1962年の二度にわたってキューバを訪問していたドゥブレは、1965年にキューバのハバナ大学に哲学教授として赴任[2]。フィデル・カストロとの知的交流を深め、1967年、『革命の中の革命』を刊行。武装闘争によるキューバ革命の正当性を謳った同書は、世界的なベストセラーとなるとともに、当時のゲリラ戦の理論的教科書として左翼革命家の聖典ともなった。 1967年、ボリビアでのゲバラのゲリラ戦に加わり、現地の治安警察に収監される。これに対し、フランスで助命嘆願運動が沸き起こり、死刑を免れるも懲役30年の刑を受ける。その後、ジャン・ポール・サルトル、アンドレ・マルロー、シャルル・ド・ゴール、パウロ6世らを巻き込んだ国際的な釈放運動により1970年04月に釈放。チリに逃れたドゥブレは、サルバドール・アジェンデを取材し、1972年、『チリの道』を刊行。 ピノチェト将軍によるチリ・クーデターを受けて、ドゥブレは1973年にフランスに帰国。1981年からのフランソワ・ミッテラン政権で外交顧問として参画する一方で、代表的左翼知識人として活躍。『ル・モンド』などで数多くの小説・エッセイを発表。徐々にメディア化する政権と距離をとるようになり、1988年、顧問を辞職。 メディオロジー
来歴
幼少期 - 学生時代
キューバ、ラテンアメリカへ
フランス帰国、ミッテラン政権への参画レジス・ドゥブレ(1970年)
メディオロジーの提唱詳細は「メディオロジー」を参照