レジェップ・タイイップ・エルドアン
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レジェップ・タイップ・エルドアン[1]

レジェップ・タイイップ・エルドアン
Recep Tayyip Erdo?an


トルコ共和国
第12代 大統領
任期2014年8月28日
副大統領フアット・オクタイ(2018年7月-2023年6月)
ジェヴデト・ユルマズ(英語版)(2023年6月-)
首相アフメト・ダウトオール
ビナリ・ユルドゥルム(英語版、トルコ語版)[注釈 1]
トルコ共和国
第59-61代 首相
任期2003年3月14日 – 2014年8月28日
大統領アフメト・ネジデト・セゼル
アブドゥラー・ギュル
イスタンブール
第28代 市長
任期1994年3月27日1998年11月6日
公正発展党
初代・第4代党首
任期2001年8月14日2014年8月27日
2017年5月21日 ?
副党首アブドゥラー・ギュル
セミル・シセック
ビナリ・ユルドゥルム(英語版、トルコ語版)

出生 (1954-02-26) 1954年2月26日(70歳)
トルコイスタンブール
政党国民救済党福祉党美徳党公正発展党無所属公正発展党
配偶者エミネ・エルドアン
宗教イスラム教
署名

レジェップ・タイイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdo?an [?e?d??ep t?j?jip ?a?do(?)?n] ( 音声ファイル), 1954年2月26日 - )は、トルコ政治家。2014年からトルコ大統領を務めている。
概要

1994年から1998年までイスタンブール市長を務めた。2001年に公正発展党(AKP)を設立し、2002年、2007年、2011年にAKPを率いて選挙に勝利し、2003年から2014年までトルコの首相を務めた。2014年に大統領に選出されると退陣を求められた。その後、2017年に行われた憲法制定のための国民投票を経て、AKPのリーダーに復帰した。イスラム主義の政治的背景を持ち、保守民主主義者を自認する彼は、政権時に社会保守主義的でポピュリズム的な政策を推進してきた[2][3][4]

1994年の選挙では、イスラム主義の福祉党の候補者として、イスタンブール市長に選出された。その後、ジヤ・ギョカルプの詩を朗読したことにより、宗教的憎悪を煽ったとして、市長の地位を剥奪され、政治活動を禁止され、4ヶ月間投獄された[5][6]。その後、エルドアンは公然のイスラム主義政治をやめ、2001年に穏健保守のAKPを設立し、2002年には地滑り的な勝利を収めた。エルドアンが技術的に公職に就くことを禁じられていたため、AKPの共同創設者であるアブドゥラー・ギュルが代わりに首相に就任し、後にエルドアンの政治的禁止を無効にした。2003年のシルト州での補欠選挙に勝利した後、エルドアンはギュルに代わって首相に就任し、ギュルはAKPの大統領候補となった[7]。エルドアンは2007年と2011年の2回の選挙でAKPを勝利に導き、2014年には大統領に選出され、2018年に再選された。

エルドアンが首相に就任した初期の頃は、トルコの欧州連合加盟交渉の進展、2001年の金融危機後の経済回復、道路や空港高速鉄道網などのインフラへの投資が見られた。また、2007年と2010年に行われた憲法制定のための国民投票では、見事に勝利を収めた。しかし、同政権は、フェトフッラー・ギュレンと彼が率いるギュレン運動(トルコ国家によりテロ組織に指定されている)との密接な関係から、論争の的となっていた。ギュレンとAKPは、バリョズ裁判やエルゲネコン裁判を通じて、世俗的な官僚や軍人に対する粛清を画策したと非難されている[8][9]。2012年末、同政権はクルド人とトルコ人の紛争(1978年?)を終結させるため、クルディスタン労働者党(PKK)と和平交渉を開始した。2015年には停戦が破談となり、再び紛争が激化した。エルドアンの外交政策は新オスマン主義と評され、シリア内戦の際にはシリア民主軍がシリアとトルコの国境で地歩を築くのを防ぐことに重点を置き、トルコのシリア内戦への関与につながった。

エルドアンが支配するようになった近年、トルコでは集権的な傾向が強まりつつあるとされる[3][10][11][12]2013年の反政府デモを皮切りに、エルドアン政権は報道機関やソーシャルメディアへの検閲を強化し、YouTubeTwitterWikipediaなどのサイトへのアクセスを制限した[13]。これにより、トルコのEU加盟に向けた交渉が停滞した。2013年に起きた1,000億ドル規模の汚職スキャンダルでは、エルドアンの側近が逮捕され、エルドアンが有罪となった[14][15][16]。ギュレン派との関係が悪化すると、エルドアンはギュレン派の支持者を司法、官僚、軍部から粛清していった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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