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出典検索?: "レシプロエンジン" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2011年4月)
レシプロエンジン(英語: reciprocating engine)は、往復動機関あるいはピストンエンジン・ピストン機関とも呼ばれる熱機関の一形式である。燃焼熱を取り出す方法によって、外燃式と内燃式に大別される。
燃料の燃焼による熱エネルギーを作動流体の圧力(膨張力)として利用し、まず往復直線運動に変換し、ついでクランクを用いて回転運動の力学的エネルギーとして取り出す原動機である。初期の蒸気機関においてポンプに使われたそれのように、往復運動を直接利用する場合もある。燃焼エネルギーをそのまま回転運動として取り出すタービンエンジンやヴァンケル型ロータリーエンジンと対置される概念でもある。
船舶、自動車、非電化区間向けの鉄道車両、航空機といった乗り物の他、発電機やポンプなどの定置動力にも用いられ、一般的な動力源として広く普及した。20世紀中盤以降、航空機では大排気量・高出力のものからガスタービンエンジンに置き換わり、21世紀に入ると、分野によっては、再生可能エネルギーを利用したカーボンニュートラル化が容易な電動機に置き換わりつつある。
歴史
往復の作用詳細は「蒸気機関」を参照
往復動型機関の最初の記録はオランダのホイヘンスで、1680年に火薬を使って動力を発生させる考えを発表したと伝えられる。ベルサイユ宮殿の水役人だったホイヘンスはピストンと真空を熱機関として利用しようとする祖と認められている。ホイヘンスの案はシリンダー(筒)の最下部に燃焼部、最上部にピストンがおかれていた。燃焼部で火薬を燃焼させ、この燃焼により発生した高温の空気が上部の弁から抜けていくだけのものだった。弁は一方通行の不還弁であり、空気が抜けたのちシリンダーが冷えれば内部の圧力が低くなり、当時発見されたばかりの真空の力により最上部のピストンが下降する際に力を及ぼすというものである。当時は火薬の爆発は危険なものとされており、ホイヘンスの考えも真空利用の静粛性が特徴である。当時は内燃と外燃の区別はされず「熱から動力が生み出される」という考えであった。
その後、フランスのアッベ・フォートフュイユやイギリスのモアランドらの創案があるが、これらも試作はされていない。
ピストンエンジンはピストン型蒸気機関の祖といわれるドニ・パパンの蒸気機関で実現した。ドニ・パパンはホイヘンスとも親交があり、ホイヘンスの案を試作し、検証したものの、当時の技術では火薬の燃焼、ピストンや不還弁の製作は難しかった。そのためパパンは直接火薬を燃やすことではなく、外部で発生させた蒸気によって圧力を高める蒸気機関とした。火薬の燃焼の代わりに蒸気を使う点を除けば、ホイヘンスのものと変わらない。
その後、セイヴァリが英国で特許を取得し、1705年になってトーマス・ニューコメンの改良により実用的な蒸気機関となった。ニューコメン蒸気機関は、英国では炭鉱から水を抜き取るための排水ポンプ用途に使用された。
ニューコメンが最初に機関を発明した時代は、その動作は非常に緩慢なものであり、バルブの開閉は人手で行われていた。このバルブ開閉の進歩が蒸気機関の普及を促した。ニューコメンの「大気圧機関 (Atmospheric engine)」のバルブの改良は、バルブの開閉操作員だったハンフリー・ポッター (Humphrey Potter) という少年により1713年にロープや滑車を利用した最初の自動化の工夫がなされ、1718年にヘンリー・バイトン (Henry Beighton) がさらに改良を重ねた。ジョン・スミートンがさらにさまざまな改良を施した。
50年以上もの間改良されながら1770年頃まで広く使われていたニューコメン式の蒸気機関であったが、ここまでの蒸気機関は、往復運動をそのまま直線的動力として利用するものであり、しかもその力は往復以前に往だけの片道通行の利用だった。 ジェームズ・ワットは根本的に改良を加えた往復動蒸気機関を考案し、1769年に英国で特許を取得した。これは本格的な回転動力の実用化に至る道でもあった。 ピストンの往復の動きを回転運動として利用した最初のエンジンは、ワットの特許と同年の1769年、フランスで考案された蒸気動力の牽引車、キュニョーの砲車である。これはピストンロッド
回転の作用
次いで英国でワットの元で働いていたウィリアム・マードックが遊星ギアを利用して回転運動を得ることを着想し、蒸気自動車を作成した。この往復運動を回転運動にする特許はマードックではなくワットが取得している。ワットらはクランクシャフトを利用したかったが、同時期に特許がすでに取得されており、その使用にはワットの蒸気機関の特許との交換条件を持ち出されたために使用しなかった。遊星ギアはクランクシャフトに比べて往復運動から回転運動への変換効率が低く、ワットは後年、特許使用可能になったクランクシャフト方式に乗り換えている。
1801年にトレビシックが蒸気自動車を製作し運転した。トレビシックはさらに1804年に世界最初の蒸気機関車を制作し、試運転を行っている。
1820年、イギリスのW・セシルが水素ガスを燃料とした真空利用の大気圧機関を製作し、60rpm(回転/分)の動きを実現した。爆発時の騒音が問題となったがこれが世界最古のガス機関として認められている。しかし当時は蒸気機関の実用化が盛んな時期であり、ガスエンジンはその後の研究があまり進まなかった。
イギリスでは続いて発明家のサミュエル・ブラウンが、1823年にガス真空機関(真空エンジン、用気エンジン)の開発に成功。内燃機関だったが、爆発の後に生じる真空によりピストンを引き戻すことにより往復運動をおこなうものであり、大気圧利用という点ではトーマス・ニューコメンの蒸気機関そのままの原理であった。1825年には車両に載せられ、この真空機関付き自動車は1826年の試運転で10.5分の1の勾配(約5 °26 ′)をたやすく登った。1827年にはテムズ川で船に真空エンジンを載せて公式試運転を行い、11 - 13 kmを記録している。これらの実績によりブラウンは内燃機関の歴史において功績が認められており、また、ブラウンのエンジンは実用になった最初のガス機関と認められている。