山下達郎の楽曲については「RECIPE (レシピ)」をご覧ください。
Wikibooks 料理本
レシピ(recipe [?res?pi])とは、何かを準備する手順書である。特に料理の調理法を記述した文書を示し、本書で説明する。
飲料や食品以外の調製法の場合はフォーミュラと呼ばれる場合がある。
現代の料理レシピは通常複数の要素で構成される。
料理の名前(場合により、地方または由来)
調理に必要とする時間
必要とする食材と、その量または分量
必要とする調理器具や道具
調理する順番にそった手順一覧
レシピで出来上がる料理が何人前か
レシピには、保存期間と冷凍可能かを示すものもある。
初期のレシピには、情報が欠けていることが多く、既に調理法を知っている人への食材と分量の覚え書きとされていた。
伝統的料理のバリエーションを一覧するレシピもある。
語源フレドリカ・ルーネベリ(英語版)の1850年代の「ルーネベリタルト」のオリジナルレシピ。
レシピ(recipe )は「(命令を)受け取る」を意味するラテン語recipere の(二人称単数現在能動)命令形recipe に由来する。これは元々、医者からが薬剤師への、材料の準備ができるよう指示(処方箋)を命ずる語であった[1]。
1740年頃から料理用語として使われ始めた。現在では料理用語として広く一般に認知されている。現在処方箋の表記の略語(Rp)に名残がある。 知られている最古のレシピは紀元前約1600年の南バビロニアでのアッカド語の粘土板である[2]。 古代ギリシャのレシピが多く知られている。ミタイコスの料理本が最古であるが、大部分が失われた。アテナイオスは『食卓の賢人たち』 (Deipnosophistae
レシピの歴史「料理本#歴史」も参照
各地のレシピ
ローマのレシピは紀元前2世紀にカトー・ケンソリウスの『農業論』で始まったと知られている。この時代に、地中海東の料理の多くがギリシャ語とラテン語で記述された[4]。
古代カルタゴのレシピの幾つかが、ギリシャ語とラテン語に翻訳され知られている[4]。
より後の西暦4世紀または5世紀に、『アピキウス』と呼ばれる膨大なレシピ集が現れ、完全に現存する最古の料理本である[4]。『アピキウス』は、通常参照されるコースを、前菜(Gustatio )、メインコース(Primae Mensae )、デザート(Secundae Mensae )と参照されるコースを記録している[5]。ローマ人は西洋料理にハーブと香辛料を導入した。レンフリューは、タイム、ゲッケイジュ、バジリコ、フェンネル、ルー、ミント、パセリ、イノンドが、ギリシャで一般的であったと記述している[6]。
アラビア語のレシピは10世紀から記述されはじめている。アル=ワッラ (Ibn Sayyar al-Warraq) およびアル=バグダディ (Muhammad bin Hasan al-Baghdadi) 参照。 古代中国の現存するレシピ集としては、北魏の賈思?『斉民要術』、北宋の呉氏『中饋録』[7]、南宋の林洪『山家清供』[7]、元の著者不明『居家必要事類全書』[7]、清の袁枚『随園食単』などがある。中国のレシピ集は、農書や日用類書(生活情報の百科事典[8])と重なる部分が大きい。 江戸時代には『料理物語』や『本朝食鑑』が刊行された。1802年、救荒のための『かてもの』が刊行された。1782年、『豆腐百珍』が刊行され、ブームとなって多くの続編や類似書が出現した。 明治時代には、村井弦斎による新聞連載小説の『食道楽』がベストセラーとなり、その妻の村井多嘉子がレシピ本の走りとされる『弦齋夫人の料理談』を出版した。石川理紀之助は貧農救済を目的として、『草木谷庵の手なべ
中国
日本.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}が望まれています。
帝国陸軍では『軍隊調理法』が部隊に配られた。 イギリスのリチャード2世がレシピ本の『The Forme of Cury』 (Forme of Cury
料理本のレシピ
西暦1500年代から西暦1600年代の間、大きな家の間での競争が一般的となり、家を管理して食事を用意する方法について多数の本が書かれた。オランダ[12]とイギリス[13]では、貴族の間で誰が最も贅沢な宴会を準備できたかが競われた。西暦1660年代までに、料理法は芸術に進展し、良い料理人が求められた。彼らの多くはライバルと競って、彼らのレシピの詳細を述べる自身の本を発行した[14]。これらの本の多くは、現在翻訳されて、オンラインで利用可能である[15]。
西暦1800年代までに、世界中が料理に熱中した。最新の印刷技術と出版の新しい概念を使用して、ビートン夫人(イザベラ・メアリー・ビートン、1836年 - 1865年)は有名な本『ビートン夫人の家政書』を、西暦1857年から1865年の間に24分冊という形態で出版した。ほぼ同時期に、アメリカ人料理人ファニー・ファーマー (Fannie Farmer) (ファニー・メリット・ファーマー、1857年 - 1915年)が生まれ、料理に専念し、1849のレシピが含まれる有名な本『ボストン・クッキングスクール・クックブック』を出版した[16]。 1900年代半ばまでに、文字通り何千冊もの料理法とレシピの本が利用可能となった。次の革命はテレビの料理番組であった。イギリスでの最初のテレビの料理人はファニー・クラドック
料理番組のレシピ