レギア
Regia
所在地フォルム・ロマヌム
建築様式王の執務室、最高神祇官公邸
関連項目ローマの古代遺跡一覧
レギア(ラテン語: Regia)はイタリア ローマのフォルム・ロマヌムにある王政ローマ時代には王の執務室、また共和政ローマや帝政ローマ時代には最高神祇官の公邸であった建物のこと。
ウェスタ神殿、ディウウス・カエサル神殿とアントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿に囲まれた場所にあり、現在ではその基礎部分が残っているだけである。
クリアと同じく、長い古代ローマ時代に何度も建て替えられ、最も古いものは王政時代まで遡ることができる。 伝説によれば、最初の建物は第2代の王ヌマ・ポンピリウスの時代に王宮として建てられたそうである[1]。このとき同時にウェスタ神殿、巫女たちの家なども建てられ、国の政治・宗教の中枢地区フォルム・ロマヌムを形成した。 共和政ローマ時代には最高神祇官の公邸となり、(複数名が任命され権限が制限される執政官としてではなく、国で唯一名の最高神祇官の肩書を用いて国の統治を意図した)ガイウス・ユリウス・カエサルも、この公邸の主となり国を統治した。 また、レギアは神官団の公文書館の役割も果たしており、祈祷や犠牲など宗教儀式に関する文書や聖なる日を定める暦、国事記録、結婚や死去、相続に関する記録文書などが保管されていた。 紀元前390年[2]、前148年、前36年に火災等により焼失し再建されている。カエサル没後8年の前36年の焼失時には、アウグストゥスの側近であったグナエウス・ドミティウス・カルウィヌスにより再建された。 現在見られる遺跡は、幾度もの焼失や倒壊を経て、当初とは別の位置に建て替えられたもので、変則的な形の中庭を持つ建物で、凝灰岩で舗装され木造屋根のポルティコを持った建物であった。この建物は7世紀から8世紀頃に一般住居に改築されていたと考えられている。
概要
参考文献.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、レギアに関連するメディアがあります。^ Ovid Fasti 6.263; Tacitus Annales 15.41; Cass. Dio fr. 1.6.2; Plutarch Numa 14; Festus L 346-348
^ Mem. Am. Acad. ii.59-60
表
話
編
歴
フォルム・ロマヌム (フォロ・ロマーノ)(解説)
アウグストゥス神殿 (ローマ)(英語版)
アウグストゥスの凱旋門(英語版)
アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿
ウェスタ神殿
ウェスパシアヌスとティトゥス神殿
ウェヌス・クロアキナ祠(英語版)
ウェヌスとローマ神殿
黄金の里程標
カストルとポルックス神殿
クリア・ユリア
コミティウム(英語版)
コンコルディア神殿
サートゥルヌス神殿
セプティミウス・セウェルスの凱旋門
タブラリウム
ディウウス・カエサル神殿
ティベリウスの凱旋門(英語版)
ティトゥスの凱旋門
帝都ローマ基準点
バシリカ・アエミリア
バシリカ・ユリア
フォカスの記念柱