レキシントン_(CV-16)
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1943年11月12日撮影
艦歴
起工1941年7月15日
進水1942年9月23日
就役1943年2月17日
退役1991年11月8日
その後博物館として公開
性能諸元
排水量基準:27,100 トン (1942年)
満載:36,380 トン (1942年)
(改修後):48,275 トン (1991年)
全長水線長:888 ft (266 m)
全長:912 ft (277.9 m)
艦幅93 ft (28.4 m) (船体)
全幅147.5 ft (45 m) (飛行甲板)
吃水28.7 ft (8.8 m) Light,
34.2 ft (10.42m) Full load
最大速33 ノット (attained 34.65 on sea trials)
乗員士官、兵員3,448名 (航空団を含む)
兵装5インチ砲12基
40mm機銃68基 (1967年に撤去)
搭載機80+
エレベーター中央2基、舷側1基
カタパルト

レキシントン (USS Lexington, CV-16) は、アメリカ海軍航空母艦エセックス級航空母艦としては2番目に就役した。アメリカ海軍においてレキシントンの名を受け継いだ艦としては5隻目にあたり、珊瑚海海戦で戦没した四代目の名を引き継いだ。

先代の愛称「レディ・レックス」も受け継いだ[1]が、「ブルー・ゴースト」の愛称でも知られた[2]目次

1 艦歴

1.1 就役[3]

1.2 第二次世界大戦

1.2.1 1943年[4][5]

1.2.2 1944年[10][11]

1.2.3 1945年[14]


1.3 戦後[20]


2 博物館として

3 登場作品

3.1 映画

3.2 小説


4 脚注

5 参考文献

6 関連項目

7 外部リンク

艦歴
就役[3] レキシントンの進水式

CV-16はナンバー1508として、1941年7月15日にマサチューセッツ州クインシーベスレヘム・スチール株式会社・フォアリバー造船所で起工された。フランクリン・ルーズベルト大統領は当初、大陸海軍の最古参艦「カボット(英語版)」の名を本艦に継がせようと考えていた。しかし1942年5月の珊瑚海海戦で「レキシントン(CV-2)」が戦没し、CV-16の建造に関わる多くの従業員は海軍長官フランク・ノックスに「CV-16にレキシントンの名を」と要望を送った。これは直ちに承認され、6月16日に改名された。

9月23日に海軍省次官セオドア・ダグラス・ロビンソン(英語版)の未亡人・ヘレン夫人(先代レキシントンの命名者でもある)によって命名・進水し、1943年2月17日に初代艦長フェリックス・スタンプ大佐の指揮のもと就役した。もともと1944年完成予定だったところ、造船所は戦時生産体制により一年短縮することに成功した。
第二次世界大戦
1943年[4][5] 就役当日、ボストンにて

就役後ただちに器材の積載、乗員や飛行隊の受け入れ等の準備が行われ、5月初めに4週間の整調訓練を行うためカリブ海へ向かった。Uボートの脅威は低いと考えられたが、念のため駆逐艦が随伴した。乗員には海軍生活や航海に不慣れな者が多く、飛行訓練でも約25機が事故で失われた。アメリカンフットボール選手のナイル・キニックF4Fのパイロットとして搭乗していたが、6月2日にベネズエラのパリア湾で訓練中に事故で殉職した[6]

6月上旬に整調航海を終えてボストンに帰還、太平洋に向かう調整を行ったのち、レキシントンは軽空母「プリンストン」「ベロー・ウッド」とともにパナマ運河を通過し、8月9日に真珠湾に到着した。引き続きハワイ周辺で訓練を重ね、9月11日にチャールズ・A・パウナル少将率いる第15任務部隊の第5群旗艦として戦闘地域に出発した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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